2021年5月2日日曜日

コーカサスの金色の雲:再録

 NHK-FMシアター シリーズ ロシア・ユーラシアの現代文学を録音したMD⇒CD作業、最終回はアナトリー・プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』

原作は三浦みどりさんによって邦訳されていて、放映当時はご存命だったはずだが、ドラマの前の解説は彼女ではなかったのは残念だな。イスカンデルはなぜか沼野充義先生の解説だったのに(訳は浦先生なのに)。

映画化された「金色の雲は宿った」も不朽の名作で、実は私が生涯で最もぼろぼろに泣いた映画なのだ(キーラ・ムラートワの「灰色の石の中で」との二本立てであった)。




沼野充義先生が指摘されていたのだけれど、映画の方では原作にあった主人公コーリカの双子の片割れサーシカが殺される場面では残虐さはかなり薄めて別れは抒情的に描かれているが、その代わりラストが原作以上に容赦ない。恐らく当時の状況だとこっちの方だったんだろうというもの。

ラジオドラマはサーシカの死の場面は映画ほど薄めてはいなかったけれど原作そのまんなの残虐描写はさすがにしていなかった。ラストはオープンで。

チェチェンとロシア、作者のプリフターフキンは憎しみの連鎖を止めなければならないという立場を崩さない。そういう考えを一番具現していたサーシカは、でもあっけなく命を落としてしまうのだが…。
そして、90年代の数々のテロ事件、とりわけ2004年のベスラン学校占拠事件で多くの子ども達の命が奪われて、「やはり憎しみを止めるのは無理なのだろうか」と弱気とれる発言もしたことを覚えている。度重なる惨劇がそうさせたのか。でも、絶望しないでほしい、と思った。
今やもう、プリフターフキンも、訳者の三浦みどりさんも、この世にない。

しかし、今でも読み返さなければいけない本である。

今日は5月2日、2014年にオデッサで惨劇「オデッサジェノサイド」があった日。
憎しみの連鎖は断ち切らないといけない。

ファジーリ・イスカンデールの大きな家の大いなる一日:再録

 FMシアター「大きな家の大いなる一日」大好きなファジリ・イスカンデルをMDからCDに録音。最初に沼野充義先生の解説…がちょっと長めに入っていた。この話は短編連作である『チェゲムのサンドロおじさん』の最後の1編であり、去年9月にもロシア語講座応用編の安岡治子先生の「ロシア文学からの贈り物」で習ったから記憶に新しい。

(FMシアターではカーマだった少女(語り手である作家の母にあたる)の名が安岡先生の講座ではカマーになっていることに気付いた。)

最初の教師:再録

 「クジラの消えた日」の次はNHK-FMシアターで放送されたチンギス・アイトマートフ「最初の教師」をMDからCDに

著者 : 赤沼弘
第三文明社
発売日 :

原作本はまだ読んでいない。コンチャロフスキーの映画は観たことある。
この時期のコンチャロフスキーは辺境における女性の地位向上みたいな題材の作品を作っていて、兄弟のミハルコフよりはフェミニストに親和的かなって感じがしなくもなかった。
とは言え、実生活上は起用した女優さんを「とっかえひっかえ」(某氏談)で、ミハルコフとやってることはあまり変わらなかったみたいだ。

何にせよ、最初の教師が誰であったか、日本以上にロシアは重要視されているんじゃないか。芸術界の「~に師事し」というのは勿論だけれど、サッカー選手のWikiでも最初のトレーナーについて言及されているのって割と目につく。

語り手の元教え子で学者になった女性が「先生」を見かけて列車の中でとった行動、それに対する周囲の人の反応、大祖国戦争に傷ついた痛みと悲しさと優しさとが胸にひしひしずきずきする。




録画メモ:「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」

「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」
「SKIN」

2021年4月28日水曜日

クジラの消えた日 再録

 身の回りの整理の一環で、カセットテープやMDをCDなどに録音し直すことにして、案の定結構大変なのだ。

友人が送ってくれた「キノ」の曲が入ったMDとか、ビートルズの曲をロシア語で歌っている(声は結構本家に似ている)「ナフシェグダ」というタイトルがついているカセットテープとか発掘してCDにしていたが、今日は昔NHK-FMで放映したFMシアターの現代ロシア文学シリーズで『クジラの消えた日』をやった。

ヒロインのナウは李麗仙さんだったんだな。


刊行当初読んで、海の生物たちと共に生きる少数民族の伝承叙事詩のようなストーリーが面白かったのだが、ドイツ語からの重訳で訳に関しては多少難があるとか後で知った。

2003年・2004年にNHK-FMシアターでラジオドラマとして放映された。
https://www.nhk.or.jp/audio/old/prog_fm_former2003.html

2021年4月18日日曜日

サイレント映画に輝きを ピアノdeシネマ「カメラを持った男」

 前々からジガ・ヴェルトフは苦手だと書いていたが、サイレントではなくて音が入ることでこんなに見え方が違うのか!と発見した、柳下美恵さんの「ピアノdeシネマ」アップリンク渋谷卒業の回、「カメラを持った男」

嫌いではないがサイレントだと(実は)寝ちゃうこともあった。初見の頃、え?これがドキュメンタリーですって?おかしいだろ!と思った(わからないなりに嫌いではなかった)し同じ頃ソクーロフのエレジーシリーズとか観てソ連のドキュメンタリーは私が思っていたような記録映像作品ではなく多分に主観的なものなのねと理解したものだった(このあたり、上映後の井上さんの解説がちょっと触れてくださった点である)

が、柳下さんのピアノで今までになく新鮮にわくわくして観た、聴いた。99分45秒のロングバージョン、どの場面もこんなに素敵だったのか?と発見ばかり。いや、これ、十分カウフマンの「春」のきらめきがこの作品にしてすでに芽生えていたのではないか。なぜそれが今まで私には見えていなかったんだろう?コマ撮り、モンタージュ、斜めの構図、俯瞰と仰望、いろいろ試し尽して愉しんで撮っている、革命後の若々しいソ連の町。モスクワ中心かと思っていたら、オデッサやヤルタの労働者クラブでの撮影もあったんだな。

上映後の井上徹さんの解説、時間が押していて残念だったが、井上さんの言わんとする、ドキュメンタリー、劇映画、再現ドラマ、そしてヴェルトフの獲得した映画眼という映画の真髄、柳下さんが触れたこの映画の物語性についても、感じるところはあり、わかったつもりにはなっている。記録映像=ドキュメンタリーではないのだ。編集で主観が入りまくるが、それでこそ映画作品なのだ。

柳下さん「カメラを持った男」、「これがロシアだ」というタイトルで紹介されていたが、「これが映画だ」とも言える。

これは至言であると思った。

ピアノ、とってもパワフルで、超絶技巧も!とにかく楽しかった。



2021年4月17日土曜日

指小形だったサフラジェット

 映画「サフラジェット」(邦題「未来を花束にして」)観るまで知らなかったサフラジェットという言葉だが、なかなかわかりやすく読みやすく頭に入りやすい絵本があった。

序文から驚きで、メアリー・ポピンズの働いていたバンクス家の奥さん、ウィニフレッド・バンクス夫人がサフラジェットなのだとか。

(映画「メリー・ポピンズ」の設定がそうなのか?本を読み直したいなと時々思うが手に取れないままになっている。)

サフラジェットはサフラジストの指小形。-etteは小さきもの、劣ったもの、女性的なものにつける接尾辞で、女性参政権を求める過激な運動を行う「女性政治社会連合」をばかにし嘲るために記者が呼んだのが始まりである由。その蔑称を女性たちが自称もして運動を続けていった。ブルーストッキングの女性たちとの嘲りを先取りして『青鞜』を創刊した日本の先達たちを思い起こすエピソードだ。

あの映画のエンドロールで女性参政権を得た順に各国のリストが流れるが、なぜか日本はこのリストになかった。だが、1945年12月17日、改正衆議院議員選挙法(50年に公職選挙法に統合)が公布され、20歳以上の男女に平等な選挙権が認められたことをもって日本は女性参政権を実現させている。

そしてこの本では、世界のサフラジストの一人として市川房枝が載っている。

最後のページに年表があって、1881年マン島(一部)、1893年ニュージーランドから2006年アラブ首長国連邦、2015年サウジアラビアまで。日本は1945年に挙がっている。この本では日本は忘れ去られていなかった。

1959年ブルネイ 但し1962年以降男女とも国民に選挙権は認められていない…

 1973年バーレーン 但し初めて選挙が行われたのは2002年

オーストラリアは世界で3番目の1902年に女性参政権を得ているのに、但しアボリジニには適用されず、アボリジニが選挙権を得たのが1962年

モルドバは1978年ってほんとか?1944年のソ連編入からそれまで何やってたんだ?

ポルトガル(1976年)やリヒテンシュタイン(1984年)はあのスイス(1971年)より遅い。

人物・詳しい歴史についてはこれからぼちぼち読む。