ドキュメンタリー映画と言っても、旧ソ連圏の作品はしばしば私の想像を超えている。
いや、これ、ドキュメンタリーですか?という作品ばかりのような気がしていた。
たまに私でも理解できるわかり易いのがあったと思うと、それはラトヴィアの「踏切のある通り」や「10分間ぶん年をとり(「テン・ミニッツ・オールダー」のオリジナル)」、カザフの「アラル海は泣いている」など、ロシアからすると”周辺地域”のものなのだった。
ソ連のドキュメンタリー映画としてよく挙げられるジガ・ヴェルトフの「カメラを持った男」「キノプラウダ」は実のところよく理解できず、苦手だった。
ところが今夜観た、ジガ・ヴェルトフの弟ミハイル・カウフマンの作品ときたら!
彼はヴェルトフとともに「キノプラウダ」シリーズをカメラマンとして制作していたのだが、「カメラを持った男」でヴェルトフと意見を違え、「自分の作りたいものを作る」として初めて自分で監督したドキュメンタリー映画、それが「春」"Весной"(ロシア語直訳だと「春には」となる)。
これは美しい。
1929年、若いソヴィエト、冬から春へ、そして初夏へと季節が巡る。
雪だるま(もちろんスラヴ風のものであって、”だるま”ではないが)が徐々に溶けてゆき、雪解けで川は氾濫し、道はぬかるみ、その中を人々は活動を開始する。
泥濘の中、人々は働く。線路や建物の補修、運搬。
子ども達は笑顔で駆けてゆく(いつもながらソ連の子どもたちはとっても可愛い!)、動物園の動物たち、ライオン、ユキヒョウら猛猫たちは伸びをし日向ぼっこ。
若者たちはスポーツ大会(オリンピアーダ?)を繰り広げる。
サッカー、バレーボール、自転車曲芸、バスケットボール等々。
平和である。そして限りなく明るい。美しい映像が繰り広げられる。
「カメラを持った男」などのヴェルトフ作品に顕著なアジプロ的色調は薄い。
コマ撮り、モンタージュ、ロトチェンコのような斜めの構図、俯瞰と仰望、手法はしっかりアヴァンギャルドのそれであるが、題材が社会主義の煽動ではなくて生活描写であり、正直言ってヴェルトフは苦手だと思い続けていた私には、ミハイル・カウフマンがこういった映画を撮っていたことは全然知らなかったし、非常に惹かれるものがあった。
アトリーチナだ。
全ウクライナ写真映画管理局制作だから、ここに映された風景はキエフとか、ウクライナのものだろうか?
いずれにしろ、1920年代、つまりネップの時代のソ連の、『黄金の仔牛』や『十二の椅子』などの、あの伸びやかで明るく瑞々しい空気が伝わる、貴重なフィルムとなっているのだ。
なお、この上映会の前に、非公式にアレクサンドロフのミュージカル映画「輝く道」の映像を見せていただいた。楽しかった。いつか全編通して観たいものだ。
「春」は日本でも公開上映されたことはあったのか。→中井正一伝説: 二十一の肖像による誘惑
著者: 馬場俊明93ページ
https://books.google.co.jp/books?id=7TYtPAhYp64C&pg=PA93&lpg=PA93&dq=%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3&source=bl&ots=bjtcC8rrrm&sig=QLleMSAe_VxoFQXWyqKJLFAzBvY&hl=ja&sa=X&ei=stShVYezNIyy0AT9jIfgAw&ved=0CDIQ6AEwBzgK#v=onepage&q=%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3&f=false
で、以前のブログに書いていた(もしかして、ウクライナ・アヴァンギャルド)、ヴェルトフ~カウフマン兄弟の父称が違う件だが、当時のユダヤ系の人物はユダヤ名とスラヴ名を使い分ける形で名乗っていて、カウフマン兄弟の父親はスラヴ名だとアルカージー、ユダヤ名だとアブラムまたはアヴェルだったらしく、その息子たちは父称をアルカジエヴィチ、アーヴェロヴィチ、アブラモヴィチいずれか適当に使っていたとのこと。その辺は緩いのだ。
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