2013年7月9日火曜日

横浜・プーシキン美術館展の夕べ

7月6日(土)に横浜美術館のプーシキン美術館展夜間特別観覧会に参加してきました。

「プーシキン美術館展  フランス絵画300年」については「オデッサ・コスモス」にも書いたように、76日(土)~916日(月・祝)みなとみらい駅・横浜美術館、ちょうど夏休み期間中の開催となります。

ここに掲載した展覧会内の画像は、夜間特別観覧会のため特別に撮影許可された画像です。
せっかくですので、宣伝物や展覧会グッズにもない作品も、力をこめて紹介したいと思います。

まずは、レクチャールームで主任学芸員の松永真太郎さんのミニレクチャーがありました。


現在プーシキン美術館所蔵の作品の主なコレクターについての解説です。
 
ペテルブルグの宮廷からはエカチェリーナ二世(上:ニコラ・プッサンの「アモリびとを打ち破るヨシュア」 フランス古典主義)、ニコライ・ユスポフ公爵(中:フランソワ・ブーシェ「ユピテルとカリスト」 ロココ)、アレクサンドル二世(下:ジャン=オーギュスト=バチスト・アングル「聖杯の前の聖母」 新古典主義)
 
 
時代がくだると、コレクターは貴族からブルジョアへ。そしてペテルブルグからモスクワへ。
イヴァン・モロゾフ(ピエール=オーギュスト・ルノワール「ジャンヌ・サマリーの肖像」 印象派)とセルゲイ・シチューキン(クロード・モネ「陽だまりのライラック」 印象派)が中心になります。
(彼らについては、«古儀式派»の流れを汲み、文化にスポーツ(サッカーも)に支援を惜しまなかったという話をつい最近下斗米先生のご本で読みました。サッカークラブ創設についてはこちらのコメント欄でkamchatkaさんからご教示いただきました。
 
さらに、こちらにセルゲイ・シチューキンについての補足記事があります。
 


 
シチューキンは前衛的な作家、作品も積極的に集めました。
パヴロ・ピカソの時代の異なる作品3点。
 

 今回展示のフランス絵画でも新古典主義のアングルの作品(左)と印象派のルノワールの作品(右)では人物の表現が違いますね。
アングルの描く人物の手はどんなに近くで観ても手は手ですが、ルノワールの絵の手は拡大すると点の集まりに…。
そういったところに注目して(今回の展示は人物画が多い)、フランス絵画の変遷を知ることができます。
アングルのマリヤは、やはりアングルらしく、実際よりもしゅっと長い首筋、手がスマートさかつ構造示唆を醸し出しています。
(とレクチャーの受け売りです。)

プーシキン美術館の著名コレクターとしては、あと一人セルゲイ・トレチヤコフが挙げられます。

 ↓に挙げたミレーの「薪を集める女たち」などを収集。
 
 
 
さて、実際に展覧会場に入ります。
 
展覧会の音声ガイド、ナレーションは俳優の水谷豊さんです。
 

私の母なんかだと、テレビドラマの影響なのか、「音声ガイド=水谷豊」と聞いただけで、普段はガイドはパス!という態度(自分のペースで観たい、まずは解説抜きで観たい)なのに、利用する気になっているのです。影響力絶大!
ガイドには女性の声のナレーションもあって、私は伊藤蘭さんの声だと思い込んでいたのですが、違う方でした。

 
第1章 17-18世紀の古典主義、ロココは赤い壁面

エカテリーナ二世がオークションで入手したプッサンの「アモリびとを打ち破るヨシュア」
早くも人が群がります。

ユスポフ公爵(外交官だった)がオークションで入手した作品。
女性画家マルグリット・ジェラールの「猫の勝利」
猫、得意顔?
 
 
 
第2章 19世紀後半 新古典主義、ロマン主義、自然主義 青い壁面


個人的に一番気に入ったのがこれ。
オラース・ヴェルネの「マムルーク」
かっこいいでしょ?
 

 
Мадонна перед чашей с причастием(「聖杯の前の聖母」、直訳は「聖餅を伴う聖杯の前の聖母」)
 
マリヤ(正教では生神女)の左にニコラウス(ニコライ1世の守護聖人)、右にアレクサンドル・ネフスキー公(アレクサンドル2世の守護聖人)を従えている。
アレクサンドル2世が皇太子時代にアングル(当時ローマのフランス・アカデミー院長だった)に委嘱、ローマで制作され、パリで展示された後、ロシアに運ばれたが、アングルはこの絵をとても気に入っていたので手放した後で同じ構図の作品を4つ制作、それらは現在メトロポリタン・オリセー・ロサンゼルス郡立・ボナの各美術館所蔵となっている。
 
ジャン=フランソワ・ミレー「薪を集める女たち」
セルゲイ・トレチヤコフが購入し、当初はトレチヤコフの収蔵品でした。
1925年にプーシキン美術館に移管。


 
第3章 19世紀後半 印象主義、ポスト印象主義 白い壁面
 

Портрет актрисы Жанны Самари(「女優ジャンヌ・サマリーの肖像」)(右)等

まず始めに迎えてくれるのは

エドゥアール・マネの「アントナン・プルーストの肖像」
イリヤ・オストロウーホフのコレクションでした。
オストロウーホフは美術コレクターで、トレチヤコフ美術館の理事も務めた人ですが、自らも移動派の風景画家でした。


第4章 20世紀 フォーヴィスム、キュビスム、エコール・ド・パリ の部分は撮影禁止でした。


プーシキン美術館、正式名称は国立アレクサンドル・セルゲエヴィチ・プーシキン名称美術館は、収蔵品数ではエルミタージュについて世界第二位を誇る、モスクワの美術館です。
Государственный музей изобразительных искусств имени А. С. Пушкина

元々はモスクワ大学付属の施設で、モスクワ大学附属アレクサンドル三世美術館という名前でした。
創立者にして、設立を呼び掛けたのはモスクワ大学教授のイヴァン・ツヴェターエフで、美術展カタログに「公的援助によらず、モスクワ市民の手で、プーシキン美術館の歴史は切り開かれた。」(182ページ)とあるように、モスクワの富豪たち(下斗米先生が古儀式派ゆかりの資本家としている面々、マーモントフ、モロゾフ、ユスポフ、それに建築家のシェフテリら)が寄付したのです。





ロシア・クラシシズムの様式の建物はクレイン、ボイツォフらの設計。
ネオ・ギリシャ風の円柱が立ち並ぶ正面
(展覧会の展示パネルから)

元々は大学の付属施設=美術史教育のための施設として、古代エジプト美術や名作彫刻の複製を中心に展示されていたそうです。
今回日本にきて展示されているフランス絵画は、2006年に救世主キリスト教会建てられた新館(19-20世紀美術を展示)

ロシア革命後に国立モスクワ美術館と改称(このときエルミタージュから多くの美術品が移管)、さらに国立西洋近代美術館(セルゲイ・シチューキンとイヴァン・モロゾフのコレクションを統合し、旧モロゾフ邸で展示、モロゾフが一時名誉館長を務める)の収蔵品をエルミタージュと分割して所蔵することになりました。




詩人プーシキン没後100年を記念して現在の名称になったのは1937年。スターリン時代、しかも粛清の時代ですね。
 
 
 
約9分の映像資料
ここに登場しているイリーナ・アントーノヴァ館長(撮影当時)は何と91歳!
半世紀近くプーシキン美術館の館長を務めたとのこと。
お疲れ様でした。
 
追記:新館長マリーナ・ロシャクさんのインタビューはこちらです。
 
 
 
ミュージアムショップにはチェブや猫が!









 


6日初日朝には、美術館の入り口に多くの人が並んでいたそうです。
やはり2011年春に予定されていたこの企画が
一旦は震災と原発事故のために中心になり、2年越しでようやく開催されることになった、それを待ちかねていた人たちがたくさんいたのでしょう。


再訪した時のお話は「横浜美術館巡り実践編」で。
(未だ書きかけ)

 

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