ぱっと見、「それでいつの公演なの?」と思うが、読んで観て楽しい。
2026年1月29日木曜日
2026年1月28日水曜日
思い出の蟹工船
昔の映画館のチケット
2026年1月27日火曜日
思い出のコンサート⑦
2001年2月3日セルゲイ・コスティリョフ&いたはしみづきヴァイオリンコンサート@王子ホール
王子ホールは好きなホール。
若手二人のヴァイオリンコンサートは、ロシアの結核の子どもたちへの支援チャリティーコンサートだった。コスティリョフはデビューCDの売り上げを全額結核の子どもたちに寄附するとのことだった。
プログラムの後半、チャイコフスキーの「なつかしい土地の思い出」の予定が「タイスの瞑想曲」に変更になったのは残念だったが(チャイコフスキーが好きなので)、最後のグラズノフのコンツェルトにうたれた。恥ずかしながら、それまでグラズノフを意識して聴いたことがなかったが、マースレニッツァのようにうきうきした気分になれた。この時以来グラズノフの名を聴くたび、このときのこの曲を聴いて幸せな心地になったのを思い出し、グラズノフが大好きになった。
アンコールはラフマニノフのロマンス。
2026年1月26日月曜日
パオパオチャンネル??
昔(1989年頃)の10チャンネル(テレビ朝日)のバラエティー番組の中に人形劇コーナーがあったのか。
Twitterには何度か書いたが、父がしばしば「最近のNHKは子どもの文化(父に言わせると人形劇のことだが)に金をかけようとしない、枠を削ろうとしている。こっちは商売あがったりだ」と愚痴を言っていたので、「NHKがだめなら民放にあたってみたら?」と、釈迦に説法的なことを言ったら、「いやいやいや、民放なんて!NHK以上に駄目だから!NHKはね、腐ってもNHKなんだ」と父は言ったのだった。
これ、どの時点で言ったのだったかな。「三国志」と「平家物語」の間だったかな。「平家」も済んで、「項羽と劉邦」についてNHKと交渉している頃だったのかな。
民放がNHK以上にダメダメと言ってはいるが、多少は民放の仕事もしていたようで、パオパオチャンネルというバラエティー番組?の仕事もしていたらしい。
2026年1月25日日曜日
うま年
今年はうま年なので、年賀状は『くろうまブランキー』にしようかなと思ったり、でもやはりブランキーはクリスマス向きだし、あんまりお正月って感じじゃないとなと思い、クリスマスは前年に続いてブランキーにしたけれど、年賀状は結局、「三国志」のメカ馬にした。
思い出のコンサート⑥
第16回東京の夏音楽祭2000 『新バビロン』~ショスタコーヴィチの完全版スコア日本初演
+『爆弾花嫁』@オーチャードホール
職場の同僚の父上が三井系会社の社長だったおかげで、招待券を「これ、プログラム付きだから」と同僚からいただいて(同僚は音楽好きだがショスタコーヴィチには興味がなかったのだろう)特等席で鑑賞させていただいた。(友人は自腹でずっと後ろの席だった。申し訳ない。)
エイゼンシュテインシネクラブのおばさまたちも皆していらしていたな。
彼女らには不評だった前座の『爆弾花嫁』(日本にフィルムがなくて、ロシアのアルヒーフから取り寄せたプリントでの特別上映)の演奏付き上映だが、映画作品自体はそれほど悪くはなかったと思う。ただ音楽が作品に合っていたかというと微妙。昔の、いかにもどたばた喜劇にコンピュータープログラミングの「ひゅ~~~」というような音がどうも気がそがれるような気分になってしまう。若い感性なら新鮮に思えたのかもしれないが、私はコンサバなので。
それに対して、ショスタコーヴィチと映画はがっちり合っているように感じられ、改めてショスタコーヴィチ凄いなと思った。まあ、なんというか、ショスタコーヴィチの音楽って、その映画にあてて書かれたものでなくともぴったり合っているように思えてしまう魔力があるようなのだが(「ポチョムキン」とか)、これはそれ用に作曲したものだからなおさらだ。
「新バビロン」はその後サイレントのままで何度も観た。主役級の男性がどうにも情けない、ありがちな”悲恋もの”。パリ・コンミューンをソ連が描くとこうなる典型で、嫌いじゃない。
2026年1月22日木曜日
思い出のコンサート⑤
山田美帆ピアノリサイタル@東京文化会館小ホール 2000年3月2日
封筒の裏に2曲の曲名をメモ。アンコール曲であろう。
*F.プーランク「3つのノヴェレッテ」より№1
*I.アルベニス「スペイン組曲」より「アストゥリアス」
本編の方の曲はドビュッシーの「子どもの領分」やシューベルトの「4つの即興曲」、ヘンデル、ブラームス。
2026年1月21日水曜日
思い出のコンサート④
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ ピアノリサイタル ショパンの夕べ@品川きゅりあん大ホール
ハリーナ・チェルニー=ステファンスカは、この4年後に亡くなってしまったのだが、この時はまだまだずっとこれからもショパンを弾いていくのだろうという感じのいかにもポーランド的なピアニストだった。
どういうわけか、あまり客の入りが良くなくて(こんな巨匠のコンサートなのに!)、彼女自ら「もっと前の席に移動してきて聴いてください」と言っていた。
プログラムは勿論オールショパン。
3月18日だから、青山での墓参を済ませて品川に行ったのだったのかしらん。
2026年1月20日火曜日
思い出のコンサート③
1997年8月27日東京国際フォーラムホールC
アストル・ピアソラ没後5周年 ピアソラとシンフォニック・タンゴの夕べ
ロシア語のクラスメイトと行った。
金平茂紀さんがいらっしゃっていて、友人は彼のファンなので喜んでいた。
そうじゃない!!!
金平さんがいらっしゃったのは、本場アルゼンチンの方たちが演奏した上記のコンサートではなくて、ギドン・クレーメルと共演してピアソラに再び光をあてた、ロシアのグループ、タンゴ・ピアソラータだった!場所が同じ東京国際フォーラムホールCだから、勘違い。
タンゴ・ピアソラータのことは、金平さん、ニュース23だったっけ?TBSの23時からのニュース番組でも筑紫さん相手に熱弁をふるって紹介していたから(モスクワ駐在の頃聴きに行っていらしたのだ)こちらに現れたのは何も不思議ではないのだけど、それでもやっぱり「お、金平さんだ」と友人はわくわくしていたのだ。
このころは、ほんとにピアソラブームで、『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』が刊行され、今は亡き愛すべきミニシアター(チラシの映画解説が絶品だった)パルコ調布キネマではピアソラ関連映画特集として(正確には「アストル・ピアソラとギドン・クレーメル」)ソラナス監督の「ラテンアメリカ光と影の詩」「無伴奏シャコンヌ」を上映したのだった。調布に映画を観に行ったのは「僕を愛した二つの国」で、このときは行っていない。「光と影の詩」を観たのはどこでだったろうか?懐かしく、またどこかで巡り会いたい映画だ。
クレーメルのピアソラは、この年のクリスマスプレゼントにCD「ピアソラへのオマージュ」をもらって、解説はちょっとおかしいなと思いつつ(←「太陽に疲れて」)何度も聴いたものだった。
2026年1月17日土曜日
録画メモ ミツバチのささやき エル・スール
ヴィクトル・エリセの2作。
14日にNHK-BSで放映された「ミツバチのささやき」を録画。
前に「エル・スール」は録画していた。
(21日にNHK-BSで放映するようだが。)
2026年1月16日金曜日
思い出の舞台①モスクワ・シアター・オペラ
「鼻」だけチケットがなかったが、3つのプログラム全部観た!
オペラ、こんなに楽しいの~~~??!!という発見。
オペラ界のユーゴザーパドたるモスクワ・シアター・オペラであった。
演劇性が強い。
しかしモチャーロフさんをはじめ歌唱力も抜群。
また来日公演して欲しいものだなあ。
1997年11月16日「ドン・ジョヴァンニ」
同11月29日「鼻」
同11月30日「劇場支配人」「賭博師」「ラヨーク」
特に、「鼻」と「ラヨーク」!
それまで苦手だったショスタコーヴィチが大好きになった。
あと、色紙にサインをいただいているのだけれど、どなたのなのか判読不明。
Спасибоだけは読める。
思い出のコンサート②
1997年4月29日(休日)
シェイクスピアの時代 約400年前、イギリス黄金期の歌曲
テノールとカウンター・テナー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リュート
これは克明に覚えている。
教会の友だち(といってもあちらは教職)に誘われていった、教会でのコンサート。だが、あまり宗教色はなく、古楽器とイギリスの歌曲。
英語が得意でない私は、英語の授業をおもしろいと思ったことがあまりなかった。
英語を美しいと思うこともなかった。
英語圏の文学を原語で読もうという気も起らなかった。
しかし、このとき初めて、英語で詠まれる詩を美しい!と思った。
ロシア語の詩や中国語の詩と同様に、英語の響きも美しいのだと発見した。
気づいてみれば当たり前のことなのに、英語の授業では殆ど詩を習わなかったから、英語で書いてある中身にあまりおもしろさを感じることができずにいて、美しさも感じ取れなかったのだが、美しい声(テノールとカウンターテナー)で歌われる詩は、何とも心地よかった。
英語はおもしろくないとか美しくないという偏見が崩れ去った。
国分寺バプテスト教会はこの時以来訪れていないが、陽光ふりそそぐ素敵な教会だった。
治安維持法と「国体」
この本の序論とⅠは『週刊金曜日』『地平』『治安維持法と現代』といった雑誌に寄稿した文章の改稿であり、Ⅱの「共産党は「君主制」「天皇制」をどうみていたのか」が新稿とのこと。よって、「国家防衛・治安維持のため(改正前の)治安維持法はやむを得なかったのではないか」との擁護論への反論の部分は全く新しいものではないのだけれど、参政党が言い立てる「共産主義者を取締るためには必要・必然の法だった」との論調にはこれまで以上に反証を行っていく必要が出てきていると改めて考える。
昨年、高校生相手に治安維持法についてのお話をした際にも、「エスペラントの講習会をやっていて、教え子の方たちもろとも検挙された」という話になると、「語学の勉強会をやっていたことで治安維持法の対象に?!」と驚きと恐れを与えることになったようなのだが、それなら「国体の変革」を目指した共産主義者とか無政府主義者とかに対してなら取締って(その挙句、坊門して死なせるようなことになって)も構わない、それは必要なことだったのか?となりがちなのだが、そういう方向になってはだめなんだよなと、常々思っている。
「そもそも、治安維持法は思想信条の自由を侵す、そもそも悪法である。」という認識をもっと言っていかなければならないのだと。
思い出のコンサート①
終活。
昔々に行った、美術展・お芝居・映画・コンサートなどの紙類の処分しているのだが、「こんなのに行った???」とさっぱり覚えていないものもあれば、強烈な印象を残しているものもあるし、そう言えばねえと思い出すものもある。
(1)
鎌倉芸術館小ホールにロシア語クラスのクラスメイトと行った、オクサナ・ヤブロンスカヤのピアノリサイタル。
1997年4月9日(日)、聴いている最中に私はその日あった選挙の投票に行っていなかったことを思い出し、断腸の思いで途中で会場を後にした。
申し訳なかった・・・。
(2)
1996年10月23日ドミトリー・リス指揮のウラル・フィル。
カンチェリの「悲しみ色の祖国」に撃たれた。まるでミハルコフの映画の一場面が目の前に広がるような・・・
と後々記憶していたのだが、この日のプログラムに「悲しみ色の祖国」はなく、カンチェリの曲では交響曲第7番「エピローグ」となっている。(他にはシューマン交響的練習曲作品13より第9変奏および終曲~チャイコフスキー編曲・日本初演、山田耕筰交響詩「神風」、ラフマニノフ交響曲第3番)。
「悲しみ色の祖国」だと思い出していたのは「エピローグ」だったの?
(その後ラフマニノフを聴いたのは確か。)
「悲しみ色の祖国」は、翌日のプログラムにあり、この日の公演は後にNHK-FMで放送してそれを録音して聴いているので、記憶が入り混じってしまったのだろうか。
リスとは、その後有楽町で再会した。
























