「12か月の未来図」(2019年公開@岩波ホール)はバンリュー(フランス団地映画)かつ教室映画の一つなんだが、「パリ20区、僕たちのクラス」(2010年)の方がサッカーネタがあって、強烈に記憶しているのに比べると印象薄い。生徒の年齢はもっと下。
「大人は判ってくれない」はトリュフォーの有名作品。
「12か月の未来図」(2019年公開@岩波ホール)はバンリュー(フランス団地映画)かつ教室映画の一つなんだが、「パリ20区、僕たちのクラス」(2010年)の方がサッカーネタがあって、強烈に記憶しているのに比べると印象薄い。生徒の年齢はもっと下。
「大人は判ってくれない」はトリュフォーの有名作品。
「暗い日曜日」
これ、好きだった。一人の女性(ハンガリー人か)を巡る、レストランオーナー(ユダヤ人)、ピアニスト、常連客のドイツ人(ナチ)。
自殺大国であったハンガリーでの、自殺ソングで有名な「暗い日曜日」誕生のフィクションなので、作中やはり自殺場面があるのだが、それより他殺の描き方が深い。うわああ。
名曲アルバム
「慰め」第3番 リスト
「チャールダーシュの女王」カールマン
感動地球紀行 ハンガリー
①グランド・ブダペスト・ホテル ②善き人のためのソナタ
「 タレンタイム~優しい歌」
2019年ヤスミン・アフマド没後10周年記念特集@イメージフォーラム
他の映画もよかったが、遺作のこれは特に滲みる。
最近、友達がヴァイオリンの発表会で夫さんの二胡とのデュエットをしたと聞いて、この作品を思い出してしんみりした。音楽映画で、マレーシアの民族を超えた青春映画で、ほのぼのしみじみ、今観かえしてまた泣けてくる。
「私は子どもたちからアラビアン・ナイトを取りあげる政府が出てきたら、命がけで戦う」
赤旗2007年4月6日付「文化の話題」欄より
以前に書いたことがあると思うが、高校卒業の折、恩師(世界史)からマカレンコを読むように勧められた。
素直に聞き入れ、母と、吉祥寺の美和書房に行って、マカレンコ全集を買った。
そして、素直に読んでいたのだが、「子どもにお伽噺なんて与えたらだめ」みたいな言葉にあたって挫折した。それは絶対に違うだろ!と思ったのだ。
後に就職して、職場の同僚と話していて、教育学部出身の彼女もマカレンコを読んでいて、同じ個所で躓いたのだと聞いた。
さらに後に、ロシア・ソ連の絵本の歴史を知ると、革命直後のロシア・アヴァンギャルドの時代には確かに民話とかに依拠したお話ではなく、身近なあれこれとか、あるいはもっとナンセンスだったり抽象的な題材の凄い絵本など児童文化の高揚期であったりもしたとわかるのだが・・・
お伽噺否定は直感的に「違う!」と思ったものだった。
その時代に生きていたらきっと粛清されるんだろうな。
マカレンコについてだが、後に恩師からは「あれを真に受けたのか?」と言われた。
何となく、日本人って戦後ずっと「やっぱり戦争だけは嫌だ」という思いを持ち続けたのかと思っていた。
母方の祖父母は言うまでもなく、治安維持法制下で戦争反対を言って弾圧され、戦後も一貫して平和運動をしていた。母は69署名を最晩年まで続けていた。
父方の過去にはあまり詳しくないが、台湾から引き揚げた前後大変苦労しているのは確かで、父も私が頼んだら戦争体験記を一応は書いてくれた。母が書くものほど強烈ではないが、その分正直に書いてくれたのだと思う。音楽の試験で、軍の飛行機の音を聞かされて飛行機の種類を当てるというもので、さっぱり聞き分けられず適当に解答したら評価は3だった、友人たちも皆そうだった、というもので、ネット上では「軍国少年だったから全部分かった」みたいな話が多い中で、父には珍しく法螺話ではなく実際の体感を思い出して書いてくれたんじゃないかなと思う。
今日(7月20日)の赤旗に「戦争はいやだ! 戦後日本の命脈をたどる」という連載記事の「上」が載っていて(毎月1回掲載だそうだ、次回は一か月先?上下になるのか、上中下になるのか)、日本国憲法草案の戦争放棄の支持は70%に及んでいた(1946年5月27日)→しかし、47~48年冷戦・朝鮮戦争を経ると早くも再軍備に賛成する人が多数になった、とこの記事にはある。
「自分の国を守るためにはやむを得ない」という条件付き戦争肯定が、戦争絶対否定を圧倒的に上回るようになったのだそうだ。53年で条件付き戦争肯定75%、戦争絶対否定15%。
これは意外だった。最初に書いたように、日本人は「戦争はもうこりごり」と思って「戦争は絶対嫌」と思い続けたと思っていたから。
ところが。
ここからまた風向きが変わったというのだ。
原水爆禁止運動・母親運動・基地闘争が起こり、活発化し、60年の安保闘争への発展する。
戦争絶対否定の日本は、むしろここからだったようだ。記事には「憲法の平和主義の定着」と書かれている。
1967年条件付き戦争肯定21%、戦争絶対否定77%
今日の記事は「敗戦から1960年代後半」までだったので、これ以降の時代の分析は8月後半になるようだ。
コッホ先生と僕らの革命
僕たちは希望という名の列車に乗った
感想は残していなかったか。これだと2019年4月4日に「RBG」と一緒に観たって書いてあるが、パンフレットは2019年5月17日発行なんだよな。
世界ふれあい街歩き ライプツィヒ
世界のドキュメンタリー 命をつなぐ動物園
世界の窓 リブリャナの「ロシアの家」
※コッホ先生と僕らの革命 はもう一つディスクがあって、そちらは「戦場のアリア」と一緒に録画していた。2014年6月のこと。
スターリンの葬送狂騒曲
僕の大事なコレクション→チェルノモーレツファンの子の下手な英語でガイドするロードムービーで、お気に入り。正式のDVD(かBlu-ray)も買ったんじゃなかったかな。
別のディスクになってしまったが、ダニス・タノヴィッチ監督の2017年公開作2本
「汚れたミルク~あるセールスマンの告発」
「サラエヴォの銃声」
目黒シネマで「石炭の値打ち」を観た際に、”ポーランド暗黒SF”の映画特集があるのを知って、ただそこでは観ることがかなわず残念に思っていたら、なんと阿佐ヶ谷で上映あるじゃないか!
と、さらに有難いことに、「ソヴィエト映画特集・愛にまつわる6つの物語」と同時期。
最初は(これは本来意に反するものだったが)「ザレチナヤ通りの春」と「祝賀の夜」を観た次の時間帯で、「ゴーレム」を。
なぜ、意に反するなのかというと、多幸感の強い「ザレチナヤ」と「祝賀」でしみじみ幸せにな気分を暗黒SFでぶち壊したくなかったからなのだが、予想通りいや~な気分にしてくれる暗黒SFだった(ゴーレム)
次に「宇宙戦争・次の世紀」
これもまた期待以上に誰もが不幸せになる世界滅亡まっしぐら作品。
いいぞ、この調子だ!と昨日の「オビ・オバ 文明の終わり」と「ガガ 英雄たちに栄光あれ」で無事に4作品完走。
ロプシャンスキーっぽい世界観だね~
「死者からの手紙」では、ブィコフ老人と子どもたちの聖なる存在が際立つラストだったけど、「オビ・オバ」はひたすら醜い・・・真に迫る醜悪さ。
最後の「ガガ」はコメディー要素も強かった。
画像は母が2013年1月にAALAのツァーで訪れた時のもの。
平和の礎に名前が刻まれたこの星子鋭郎さんは祖母の従兄弟。(確か都道府県別になっているので前後の星子さんも熊本出身なのだろうが、親戚ではないとのこと。)
沖縄戦から帰ってこなかった。
一人息子を失って、お父さんはその後自ら命を絶ったという。
私が沖縄を訪れた1990年11月にはまだ平和の礎はなかった。海岸から摩文仁の丘に登る道を、宣教師のエリザベス・クラーク先生と一緒に登っていたら、主任牧師に「Kocmaさんはクラーク先生と苦楽をともにされましたね」と親父ギャグを言われ、脱力しかけた・・・
そして、その当時は、熊本の親類が沖縄で戦死をしていたということも、祖母や母からまだ聞いていなかった。
二位じゃだめなんです!優勝でもだめなんです!
相変わらず”綺羅星の如く”巨匠が途切れないイラン映画だが、これはね、当初からのイラン映画の王道、労痛き子どもがひたむきにがんばる(周囲の大人は無理解)お話で、とてもとても懐かしい。素直に感動。
妹の運動靴をなくしてしまい、ひとまずは二人で運動靴を共用することになり、男女別学、二部制なのか午前午後とかで通学時間がずれているのを利用して、一方が学校が終わったら走って待ち合わせ場所へ、そこで靴を交換し、受け取ったらダッシュして学校へ・・・を繰り返す兄妹。
元祖イランのかわいい子映画「友だちのうちはどこ?」がそうだったように、可愛い子が走る、走る、走る、懸命に走る。
マラソン大会の賞品が運動靴なので、それを獲得すべく、アリ君は走り続けるが、全然長距離走の走り方じゃない、常に全力疾走っぽい。観ていて苦しいよ。
妹のザーラが通う女の子たちの小学校、今観ると、2月末にアメリカ・イスラエルによって虐殺された少女たちが脳裏に浮かんでやはり辛い。この子たちを攻撃するなんて全く酷い連中だ。おまけにワールドカップは…。
「裏切りのサーカス」は2012年7月1日シャンテで鑑賞。
Tinker, Tailor, soldier, spy
元歌はマザーグースの
Tinker, tailor,
Soldier, sailor,
Rich man, poor man,
Beggarman, thief.
鋳掛け屋 仕立屋
兵隊 船乗り
金持ち 貧乏人
物乞い 泥棒
数え歌。将来の職業、または結婚相手の職業を占う。
カンバーバッチが出ていたのか。
「フィラデルフィア」
1992年世界に先駆けてチュルリョーニス回顧展を催したセゾン美術館はほんとうに偉大だったな。
34年前、知名度なんて殆どないままの日本初公開(というより旧ソ連圏外初公開だったのでは)にもかかわらず、早々にカタログが売り切れたという。日本人の心の琴線に触れるものがあるのだろう・・・
残念ながら、このときは観ていない。
1994年8月にリトアニアに行った時、ヴィリニュスもカウナスも、縁の土地であるにもかかわらず、少なくとも外国人向けにはチュルリョーニスを紹介しようという雰囲気ではなかった。私もチュルリョーニスの名前だけは知っていたものの、かの地で何か探求しようという気にはなっていなかった。
(杉原千畝に関して言うと、地元の関心度・知名度は決して高くなかったと思う。)
チュルリョーニスに関心を持ったのは、芸術新潮2010年10月号の特集記事『チュルリョーニスを知っていますか?』までくだるのだが、それでも15年半前になるのか。
それによると、彼はリトアニア民族主義者で、リトアニアの民謡や神話に親しんでいたものの、リトアニア語には不慣れで、ポーランド語が母語だったようだ。(文学者の妻ソフィアに翻訳を頼んでいたという。)
スライドトークで紹介された作品
①森の囁き 油彩 1904年
前半の関東大震災~亀戸事件の虐殺部分が読んでいくのが辛かったが、その後も彼女は底辺で抗い続ける生涯だった。