2026年7月30日木曜日

録画メモ:12か月の未来図/大人は判ってくれない

 「12か月の未来図」(2019年公開@岩波ホール)はバンリュー(フランス団地映画)かつ教室映画の一つなんだが、「パリ20区、僕たちのクラス」(2010年)の方がサッカーネタがあって、強烈に記憶しているのに比べると印象薄い。生徒の年齢はもっと下。


「大人は判ってくれない」はトリュフォーの有名作品。

2026年7月28日火曜日

録画メモ:暗い日曜日

 「暗い日曜日」




これ、好きだった。一人の女性(ハンガリー人か)を巡る、レストランオーナー(ユダヤ人)、ピアニスト、常連客のドイツ人(ナチ)。

自殺大国であったハンガリーでの、自殺ソングで有名な「暗い日曜日」誕生のフィクションなので、作中やはり自殺場面があるのだが、それより他殺の描き方が深い。うわああ。



名曲アルバム

「慰め」第3番 リスト

「チャールダーシュの女王」カールマン

感動地球紀行 ハンガリー

2026年7月25日土曜日

録画メモ:タレンタイム~優しい歌 グランド・ブダペスト・ホテル 善き人のためのソナタ

①グランド・ブダペスト・ホテル ②善き人のためのソナタ



「 タレンタイム~優しい歌」

2019年ヤスミン・アフマド没後10周年記念特集@イメージフォーラム

他の映画もよかったが、遺作のこれは特に滲みる。

最近、友達がヴァイオリンの発表会で夫さんの二胡とのデュエットをしたと聞いて、この作品を思い出してしんみりした。音楽映画で、マレーシアの民族を超えた青春映画で、ほのぼのしみじみ、今観かえしてまた泣けてくる。




石井桃子さんのことば

「私は子どもたちからアラビアン・ナイトを取りあげる政府が出てきたら、命がけで戦う」


 赤旗2007年4月6日付「文化の話題」欄より

以前に書いたことがあると思うが、高校卒業の折、恩師(世界史)からマカレンコを読むように勧められた。

素直に聞き入れ、母と、吉祥寺の美和書房に行って、マカレンコ全集を買った。

そして、素直に読んでいたのだが、「子どもにお伽噺なんて与えたらだめ」みたいな言葉にあたって挫折した。それは絶対に違うだろ!と思ったのだ。

後に就職して、職場の同僚と話していて、教育学部出身の彼女もマカレンコを読んでいて、同じ個所で躓いたのだと聞いた。

さらに後に、ロシア・ソ連の絵本の歴史を知ると、革命直後のロシア・アヴァンギャルドの時代には確かに民話とかに依拠したお話ではなく、身近なあれこれとか、あるいはもっとナンセンスだったり抽象的な題材の凄い絵本など児童文化の高揚期であったりもしたとわかるのだが・・・

お伽噺否定は直感的に「違う!」と思ったものだった。

その時代に生きていたらきっと粛清されるんだろうな。

マカレンコについてだが、後に恩師からは「あれを真に受けたのか?」と言われた。


2026年7月24日金曜日

オデッサ海岸通り: 録画メモ:WOWOWワイダ特集 +α

この時のワイダ特集以前にも録画していたワイダ作品
①残像 
ワイダの遺作。岩波ホールで公開されたのが2017年
②カティンの森+世代
2015年に録画。「世代」はデビュー作
③灰とダイヤモンド+地下水道

オデッサ海岸通り: 録画メモ:WOWOWワイダ特集:  土曜日に一つの案件が済んで、19日昼間の国会前も終わり(議員会館前のドラム隊のところに行った。鳴り物は持って行かなかったけど)、ちょっと気が楽になったので、ヒューマントラスト渋谷にチェコ映画傑作選を月火と観に行って気晴らしをした。 チェコ映画傑作選、ありがたいことにちゃんとプロ...

2026年7月23日木曜日

録画メモ:ここに幸あり

 ここに幸あり(オタール・イオセリアーニ)


100年の音楽「家路」ドヴォジャーク

名曲アルバム「忘れられた調べ」より「夕べの歌」メトネル


2026年7月22日水曜日

日本人の「戦争は嫌だ」

 何となく、日本人って戦後ずっと「やっぱり戦争だけは嫌だ」という思いを持ち続けたのかと思っていた。

母方の祖父母は言うまでもなく、治安維持法制下で戦争反対を言って弾圧され、戦後も一貫して平和運動をしていた。母は69署名を最晩年まで続けていた。

父方の過去にはあまり詳しくないが、台湾から引き揚げた前後大変苦労しているのは確かで、父も私が頼んだら戦争体験記を一応は書いてくれた。母が書くものほど強烈ではないが、その分正直に書いてくれたのだと思う。音楽の試験で、軍の飛行機の音を聞かされて飛行機の種類を当てるというもので、さっぱり聞き分けられず適当に解答したら評価は3だった、友人たちも皆そうだった、というもので、ネット上では「軍国少年だったから全部分かった」みたいな話が多い中で、父には珍しく法螺話ではなく実際の体感を思い出して書いてくれたんじゃないかなと思う。

今日(7月20日)の赤旗に「戦争はいやだ! 戦後日本の命脈をたどる」という連載記事の「上」が載っていて(毎月1回掲載だそうだ、次回は一か月先?上下になるのか、上中下になるのか)、日本国憲法草案の戦争放棄の支持は70%に及んでいた(1946年5月27日)→しかし、47~48年冷戦・朝鮮戦争を経ると早くも再軍備に賛成する人が多数になった、とこの記事にはある。

「自分の国を守るためにはやむを得ない」という条件付き戦争肯定が、戦争絶対否定を圧倒的に上回るようになったのだそうだ。53年で条件付き戦争肯定75%、戦争絶対否定15%。

これは意外だった。最初に書いたように、日本人は「戦争はもうこりごり」と思って「戦争は絶対嫌」と思い続けたと思っていたから。

ところが。

ここからまた風向きが変わったというのだ。

原水爆禁止運動・母親運動・基地闘争が起こり、活発化し、60年の安保闘争への発展する。

戦争絶対否定の日本は、むしろここからだったようだ。記事には「憲法の平和主義の定着」と書かれている。

1967年条件付き戦争肯定21%、戦争絶対否定77%

今日の記事は「敗戦から1960年代後半」までだったので、これ以降の時代の分析は8月後半になるようだ。


2026年7月19日日曜日

書きました:高校生につなぐ戦争証言

 



自分で関わっていて(1項目書いています)なんですが、被爆者・空襲被災者・中国残留邦人・沖縄・黒川村等々、語り継いでいかなければならない戦争体験を高校生向けにお話した「高校生平和のつどい」の報告集です。他の分科会を伺うことができなかったから、報告集が出るのを心待ちにしていた!

2026年7月15日水曜日

録画メモ:パリ20区、僕たちのクラス

*パリ20区、僕らのクラス
*音楽都市散歩パリ
*新美の巨人たち 堀内誠一

今読んでいる、『バンリュー~フランス団地映画の軌跡』、イスラーム映画祭で「憎しみ」が上映された際のトークショーで”バンリュー”についての解説があった。まさに、そのトークイベントでお話したのがこの陣野さんだった(そのことが「憎しみ」の解説にでてきた)。
その第4章「学校映画の系譜 『パリ20区、僕らのクラス』以後」でも詳しく語られている。
私はサッカーファン映画として観たけれど、「フランス団地映画」「学校映画」の面もあるわけだ(というかその見方の方がまっとうだろう。)

オデッサ・スタジオ: パリ20区、僕たちのクラス: 2008年カンヌ映画祭で最高賞を取った、ドキュメンタリー風の、でもドキュメンタリーではない映画。 「パリ20区、僕たちのクラス」 原作はあり、原作者の国語教師がそのまま主演しています。 フランスは多くの移民を受け入れている国だというのは周知のこと。 パリ20区はとりわけ...

2026年7月13日月曜日

録画メモ:コッホ先生と僕らの革命 僕たちは希望という名の列車に乗った

コッホ先生と僕らの革命 

 感想は→こちら オデッサ・スタジオでは→こちら

僕たちは希望という名の列車に乗った

 感想は残していなかったか。これだと2019年4月4日に「RBG」と一緒に観たって書いてあるが、パンフレットは2019年5月17日発行なんだよな。

世界ふれあい街歩き ライプツィヒ

世界のドキュメンタリー 命をつなぐ動物園

世界の窓 リブリャナの「ロシアの家」


※コッホ先生と僕らの革命 はもう一つディスクがあって、そちらは「戦場のアリア」と一緒に録画していた。2014年6月のこと。

2026年7月12日日曜日

録画メモ:スターリンの葬送狂騒曲 僕の大事なコレクション

スターリンの葬送狂騒曲 

僕の大事なコレクション→チェルノモーレツファンの子の下手な英語でガイドするロードムービーで、お気に入り。正式のDVD(かBlu-ray)も買ったんじゃなかったかな。

2026年7月10日金曜日

録画メモ:汚れたミルク~あるセールスマンの告発 サラエヴォの銃声

 別のディスクになってしまったが、ダニス・タノヴィッチ監督の2017年公開作2本

「汚れたミルク~あるセールスマンの告発」


「サラエヴォの銃声」



2026年7月3日金曜日

親和性強い「ポーランド」と『暗黒」と「SF」

 

目黒シネマで「石炭の値打ち」を観た際に、”ポーランド暗黒SF”の映画特集があるのを知って、ただそこでは観ることがかなわず残念に思っていたら、なんと阿佐ヶ谷で上映あるじゃないか!

と、さらに有難いことに、「ソヴィエト映画特集・愛にまつわる6つの物語」と同時期。

最初は(これは本来意に反するものだったが)「ザレチナヤ通りの春」と「祝賀の夜」を観た次の時間帯で、「ゴーレム」を。

なぜ、意に反するなのかというと、多幸感の強い「ザレチナヤ」と「祝賀」でしみじみ幸せにな気分を暗黒SFでぶち壊したくなかったからなのだが、予想通りいや~な気分にしてくれる暗黒SFだった(ゴーレム)

次に「宇宙戦争・次の世紀」

これもまた期待以上に誰もが不幸せになる世界滅亡まっしぐら作品。

いいぞ、この調子だ!と昨日の「オビ・オバ 文明の終わり」と「ガガ 英雄たちに栄光あれ」で無事に4作品完走。

ロプシャンスキーっぽい世界観だね~

「死者からの手紙」では、ブィコフ老人と子どもたちの聖なる存在が際立つラストだったけど、「オビ・オバ」はひたすら醜い・・・真に迫る醜悪さ。

最後の「ガガ」はコメディー要素も強かった。

2026年6月24日水曜日

摩文仁の丘

 画像は母が2013年1月にAALAのツァーで訪れた時のもの。



平和の礎に名前が刻まれたこの星子鋭郎さんは祖母の従兄弟。(確か都道府県別になっているので前後の星子さんも熊本出身なのだろうが、親戚ではないとのこと。)


沖縄戦から帰ってこなかった。

一人息子を失って、お父さんはその後自ら命を絶ったという。


私が沖縄を訪れた1990年11月にはまだ平和の礎はなかった。海岸から摩文仁の丘に登る道を、宣教師のエリザベス・クラーク先生と一緒に登っていたら、主任牧師に「Kocmaさんはクラーク先生と苦楽をともにされましたね」と親父ギャグを言われ、脱力しかけた・・・

そして、その当時は、熊本の親類が沖縄で戦死をしていたということも、祖母や母からまだ聞いていなかった。





2026年6月11日木曜日

録画メモ:二位じゃだめなんです!の運動靴と赤い金魚+クローズ・アップ+ダヴィッド・オスストラフ

二位じゃだめなんです!優勝でもだめなんです!

 相変わらず”綺羅星の如く”巨匠が途切れないイラン映画だが、これはね、当初からのイラン映画の王道、労痛き子どもがひたむきにがんばる(周囲の大人は無理解)お話で、とてもとても懐かしい。素直に感動。

妹の運動靴をなくしてしまい、ひとまずは二人で運動靴を共用することになり、男女別学、二部制なのか午前午後とかで通学時間がずれているのを利用して、一方が学校が終わったら走って待ち合わせ場所へ、そこで靴を交換し、受け取ったらダッシュして学校へ・・・を繰り返す兄妹。

元祖イランのかわいい子映画「友だちのうちはどこ?」がそうだったように、可愛い子が走る、走る、走る、懸命に走る。

マラソン大会の賞品が運動靴なので、それを獲得すべく、アリ君は走り続けるが、全然長距離走の走り方じゃない、常に全力疾走っぽい。観ていて苦しいよ。

妹のザーラが通う女の子たちの小学校、今観ると、2月末にアメリカ・イスラエルによって虐殺された少女たちが脳裏に浮かんでやはり辛い。この子たちを攻撃するなんて全く酷い連中だ。おまけにワールドカップは…。



録画メモ:オデッサ海岸通り: キーラのカレーニナ+ロリータ(ナイトレイではない)

下記の2013年4月に観に行った『アンナ・カレーニナ』が後日放映されていて録画したものと、古い(モノクロ)の「ロリータ」はキューブリックの。
その他同じDVDに録画したのは「世界遺産バイカル湖」『名曲アルバム:シェエラザード」「」
名曲アルバム ラフマニノフのチェロ・ソナタ」

オデッサ海岸通り: キーラのカレーニナ: まあ期待するようなしないようなだった、キーラ・ナイトレイの「アンナ・カレーニナ」。 アンナの夫カレーニンを演じるのがジュード・ロウというのが意外なキャスティング。 そのうち観に行こうと思っているうちに、渋谷では終了してしまったようで、シネマ・カリテやバルトは勤め人に無理な時...

2026年6月9日火曜日

録画メモ:裏切りのサーカス フィラデルフィア

「裏切りのサーカス」は2012年7月1日シャンテで鑑賞。

Tinker, Tailor, soldier, spy

元歌はマザーグースの

Tinker, tailor,
Soldier, sailor,
Rich man, poor man,
Beggarman, thief.

鋳掛け屋 仕立屋
兵隊 船乗り
金持ち 貧乏人
物乞い 泥棒

数え歌。将来の職業、または結婚相手の職業を占う。

カンバーバッチが出ていたのか。

「フィラデルフィア」

2026年6月3日水曜日

やっとお目見えチュルリョーニス

1992年世界に先駆けてチュルリョーニス回顧展を催したセゾン美術館はほんとうに偉大だったな。

34年前、知名度なんて殆どないままの日本初公開(というより旧ソ連圏外初公開だったのでは)にもかかわらず、早々にカタログが売り切れたという。日本人の心の琴線に触れるものがあるのだろう・・・

残念ながら、このときは観ていない。

1994年8月にリトアニアに行った時、ヴィリニュスもカウナスも、縁の土地であるにもかかわらず、少なくとも外国人向けにはチュルリョーニスを紹介しようという雰囲気ではなかった。私もチュルリョーニスの名前だけは知っていたものの、かの地で何か探求しようという気にはなっていなかった。


展覧会のグッズ特設売り場でこういう民芸品も売っていた

ルムシシュケス民俗博物館

展覧会の章ごとにこういう鳥のモビールがあった

(杉原千畝に関して言うと、地元の関心度・知名度は決して高くなかったと思う。)


チュルリョーニスに関心を持ったのは、芸術新潮2010年10月号の特集記事『チュルリョーニスを知っていますか?』までくだるのだが、それでも15年半前になるのか。

それによると、彼はリトアニア民族主義者で、リトアニアの民謡や神話に親しんでいたものの、リトアニア語には不慣れで、ポーランド語が母語だったようだ。(文学者の妻ソフィアに翻訳を頼んでいたという。)


スライドトークで紹介された作品

①森の囁き 油彩 1904年

ごく初期の作品(珍しい)
弟ボヴィラス宛の絵葉書も展示されている。
(パステルとインク 1903年)
この絵の構図が上掲の作品の下書きとなっているのだという。



②山


③閃光(3点連作)


④春のモティーフ(4点連作より)









⑤冬(8点連作)


⑥プレリュードとフーガ(2点連作)




⑦第5ソナタ(海のソナタ)アレグロ・アンダンテ・フィナーレ


⑧三連画ライガルダス


⑨リトアニアの墓地


⑩おとぎ話(王たちのおとぎ話)


「祭壇」

「レックス(王)」



5/16の【オンライン講演会】ヴァイヴァ・ラウカイティエネさんによる「「ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875–1911):紙上に広がる幻想世界」、6/2つまり鑑賞当日の「【スライドトーク】企画展〈チュルリョーニス展 内なる星図〉」で予習して、いざチュルニョーニス展へ!

いよいよ現物に会える!



入口


(続く)



2026年5月26日火曜日

ナチス映画人気の秘密『終章ナチ・ハンター』

 

内容が内容だけになかなか大変かなと思いきや意外とすらすら読み進めることができた。ホロコーストに関わった人たちをどこまで断罪するのか。共同正犯か幇助犯か、時効と恩赦との攻防。司法官僚が仕組んだ時効の壁に別の切り口で挑んだ「工場理論」。しかしそれでも遅すぎた。結局”大者を逃して小者を罰する”になってしまった昨今(年代的に生存しているのは下っ端の者たちなので)。それでも”大者を逃したからと言って小者も逃していい訳ではない”とタイピストまで罪に問う。これまで観てきた「ナチス映画」の数々の復習でもあった。(これら人気の秘密にも迫る。)
ドイツの過去の克服は、いろいろあるにしても、やっぱり日本よりはかなりましである、という結論は変わらないのだが、上記のコメントにも書いたように、高齢でホロコーストに直接関わったとも言い難い元職員まで訴追し有罪にするのかという問題に加えて、首相を平手打ち…まではぎりぎり許されるにしても、誘拐してまで移送しようという某ナチ・ハンターには首を傾げる(おまけに過剰にイスラエル擁護)。ドイツ人の贖罪意識がシオニストにしか適用されていないのが痛い。 この本は刑事訴追に至るための追及の話で補償や謝罪はまた別問題ということで、リヒャルト・ヴァイツゼッカー元大統領の「荒野の40年」演説も出てこなかった。

2026年5月23日土曜日

『不屈のひと 物語「女工哀史」』を読了

 前半の関東大震災~亀戸事件の虐殺部分が読んでいくのが辛かったが、その後も彼女は底辺で抗い続ける生涯だった。

前半、関東大震災と続く朝鮮人虐殺・亀戸事件に至る部分を読み進めるのが辛かった。川合義虎、平沢計七らの名前が登場するや最期を知るから辛い。鈴木文治のような教養と知識を持つ人さえ”不逞鮮人”の噂に惑わされていたとの記述に暗然とする。 彼女は、エンゲルスのつれあいメアリー・バーンズのような存在。ただ、この「不屈のひと」は『女工哀史』著者の細井和喜蔵の没後なおドラマチックな不屈の闘いを続ける。内縁だったからと『女工哀史』の印税の受取りを打ち切られ、自力で人生を切り開く。労働運動、社会保障運動に生涯邁進する。
祖父の遺稿集の編者のひとりである渋谷定輔も登場する。細井和喜蔵亡き後の交流は不明だが、彼はとしをが『女工哀史』共作者であると認めていたのではないか。 『女工哀史』印税の受取り先が細井和喜蔵遺志会から国民救援会に移り、解放運動無名戦士の墓を建立したりなどして解放運動に役立てた…ことを彼女は和喜蔵没後30年記念行事の知らせがあるまで知らなかったという。不条理。救援会・いしずえ会で例年追悼行事に参加してきた身として複雑。 小林エリカ『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』にもあったなと思い出す。再読しよう。

『女工哀史』編集関係者が内縁の妻に不義理をしていたという事実が、救援会・いしずえ会に関わり、毎年青山の解放運動無名戦士の墓の墓前での追悼行事に参加してきた我が身に何とも言えぬ感情のしこりを残す。
”内縁”だったからという以外にも何かあったのは?
(いしずえ会で祖母と一緒に仲良くしていた中にはやはり内縁関係だったという女性もいて、そのことを陰口っぽく指摘する人もいたように祖母から聞いて、こういう「解放運動」をしている人の中でもなんか家父長制から抜けられない人がいるもんだなと聞いていて思ったものだった。)
彼女が、新しいつれあいを得たこと、それまでの生活からすると似つかわしくなような消費行動でもしたことなどが、彼らが望むような「未亡人」像と違っていたからなのだろうか?家父長制をぶっとばせ!である・・・