2011年5月19日木曜日

やれやれやっとモスクワ一区切り

クトゥーゾフ将軍像のあるクトゥーゾフ大通り、一本奥まってモスクワ川寄りのタラス・シェフチェンコ河岸通り(キエフ駅・ウクライナホテルとウクライナにちなんだ名前にしたのだろう)、ここだけ住宅街からスポット的に突然「ウォーターフロント」というのか、横浜のアメリカ山公園っぽい雰囲気というか、がらりと様相を変えるモスクワ。
結構好きかも、こういうの。
モスクワ・ニューシティという、新都心を作りかけている地域です。

近未来的な光景に教会が溶け込んでいる。 

 橋の下の部分はオフィスです。
その下にモスクワ川クルーズの発着場

 クトゥーゾフさん

クトゥーゾフ大通り
古い様式の建物があって、こちらもいい感じ
横断幕には「猛暑・スモッグ・休暇」とある
(СМОГは「できる」完了体男性過去形ではなく、スモッグのことだろう)

さて、これでようやく3日目昼食を終え、モスクワ脱出。
セルギエフ・ポサードへ。
(続く)

ここにもレーニンはいなかった

ロシア国立図書館



「レーニン名称ソ連邦国立図書館」という文字はそのまま残っているが、図書館の前にいるのはレーニンさんではなく、ドストエフスキーさん。


スターリンの名はほとんど残っていないが、スターリン建築には残っているか。
・モスクワ国立大学(後ほど)
・コテーリニチェスカヤ河岸通りのアパート

・レニングラードホテル
・ロシア連邦外務省
・ウクライナホテル
・ロシア連邦運輸機関建設省オフィス棟・住宅等
・クードゥリンスカヤ広場のアパート

2011年5月18日水曜日

ポーランドへの手紙

ポーランドから届いた手紙は、母が推察したとおり、震災を心配してくださってのものだった。

エスペラントのお手紙はもちろんご自分で、ロシア語はわざわざお知り合いに訳していただいて、それを写してのものだった。
「無事かどうかを早く知らせてほしい」
そのように書かれていた。

日付は5月7日。届いたのが11日だから、昨年のロシアから出したはがきと比べると、ずいぶん優秀だ。

苦労して、ロシア語で手紙を書いた。
(母が日本語で書いたものを訳している。)
13日に投函。

故郷に錦を飾りたい?

コンスタンチン・ラウシュのウィキペディア(ロシア語)の国籍欄が「ドイツ/ロシア」となっているけど、それはロシア人ファンの希望的記載でしょ、と私は思う。

ラウシュ自身は
「両親はロシアのパスポートを持っているけれど、自分は持っていない。今まで必要じゃなかったから。」
「でも出生証明書にはロシア生まれだと書かれているから、ロシア国籍を取ろうと思えばとれるはず」
と、今年1月のインタビューで答えている。
(抄訳は「12の椅子」の「コンスタンチン・ラウシュの心の声」をご覧ください。)

それ以降、ロシア国籍を取得したというニュースもなかったと思うので、ラウシュはロシア国民になってはいない、と思われる。
(たぶん、そんなつもりもないだろう。)

が、なぜか日本語のサイトでも、ラウシュ君をロシア人にしているのを見つけた。
→ここ

13歳以降はロシアに行っていないという。
今度ハノーファーがELに出場し、ロシアのクラブと対戦することになったら、里帰りできていいな、と言っていたが…。
コッカー、コースチャ、ラウシュ君。
ロシアでELに出場するのは、トミ・トムスクとかアムカル・ペルミとか、君の故郷のシベリアのクラブではないんだよ。

クレムリンの皇帝

使い物にならなかった二つの「皇帝」

鐘の皇帝



大砲の皇帝

正直、なぜこんなものを観光名所にしているのかわからない。

「12の椅子」にはハノーファー96(のコンスタンチン・ラウシュ)の記事を載せました。
いまいちドイツ語にかけていると思われる見出しの意味がとれない。

2011年5月16日月曜日

寺院広場

クレムリン内の中心、寺院広場(ソボールナヤ広場)の写真。
大量。
しかし平凡。
観光客がいつもいっぱい。
Архангельский собор
アルハンゲリスキー聖堂

ウスペンスキー大聖堂
Успенский собор



グラノヴィータヤ宮殿
Грановитая палата 

ブラゴヴェーシチェンスキー聖堂
Благовещенский собор

テレムノイ宮殿付教会(左)とリゾポロジェーニエ教会
Теремные церковь и Церковь Ризоположения
なぜか体操ポーズをとる3人

イヴァン大帝の鐘楼(部分)


イヴァン大帝の鐘楼
Колокольня Ивана Великого

2011年5月15日日曜日

記念碑の由来

モスクワのクレムリン前のアレクサンドロフスキー公園にある思想家たちの記念碑について、調べてみたところ、私にとってはかなり予想外な由来が。

この記念碑は、元々ロシア帝国のロマノフ王朝300年を記念してつくられたものだったのです。
1914年-1918年、記念碑はこんなでした。
キャプションを訳すと、
107. С.А.ヴラシエフ(←ヴラシヨフかも)
アレクサンドロフスキー公園にあるロマノフ家300年を記念するオベリスク(取り換えられた)
ウィキペディアによると、この記念碑は1914年7月10日にS.A.ヴラシエフによって建てられました。
頂点には双頭の鷲、小さい鳩とグリフィンの像、その下の柱の部分にはロマノフ家初代皇帝のミハイル・フョードロヴィチから結果的に最後の皇帝となったニコライ二世の名前が書かれていたようです。

鷲と皇帝の名前が書かれた部分は、1918年に、現在のような19名の思想家たちの名を記したものに取り換えられました。
革命が起こってロマノフ王朝は倒されたのですから、当然と言えば当然ですが、多くの教会のように爆破!ではなくて、下の土台はそのまま使って趣旨換えしたというのも、不思議ですね。
他にもあるのかしら?

拙速な作業だったからか、ウィンステンリーの綴りは間違っています。
リープクネヒトとあるのは、私はカールかと最初思いましたが、ここはお父さんのヴィルヘルムです。
カールは1919年に亡くなっているので、この記念碑が取り換えられた時点では存命でした。
ローザ・ルクセンブルク、いないの?!と思ったのですが、やはり存命だったからでしょうか。
プレハーノフは1918年没。ぎりぎりですが、たぶん記念碑取り換えの頃は亡くなっていたのでは。

ロバート・オーウェン、オーギュスト・ブランキあたりが選外なのは?
謎は尽きません。