2011年5月15日日曜日

記念碑の由来

モスクワのクレムリン前のアレクサンドロフスキー公園にある思想家たちの記念碑について、調べてみたところ、私にとってはかなり予想外な由来が。

この記念碑は、元々ロシア帝国のロマノフ王朝300年を記念してつくられたものだったのです。
1914年-1918年、記念碑はこんなでした。
キャプションを訳すと、
107. С.А.ヴラシエフ(←ヴラシヨフかも)
アレクサンドロフスキー公園にあるロマノフ家300年を記念するオベリスク(取り換えられた)
ウィキペディアによると、この記念碑は1914年7月10日にS.A.ヴラシエフによって建てられました。
頂点には双頭の鷲、小さい鳩とグリフィンの像、その下の柱の部分にはロマノフ家初代皇帝のミハイル・フョードロヴィチから結果的に最後の皇帝となったニコライ二世の名前が書かれていたようです。

鷲と皇帝の名前が書かれた部分は、1918年に、現在のような19名の思想家たちの名を記したものに取り換えられました。
革命が起こってロマノフ王朝は倒されたのですから、当然と言えば当然ですが、多くの教会のように爆破!ではなくて、下の土台はそのまま使って趣旨換えしたというのも、不思議ですね。
他にもあるのかしら?

拙速な作業だったからか、ウィンステンリーの綴りは間違っています。
リープクネヒトとあるのは、私はカールかと最初思いましたが、ここはお父さんのヴィルヘルムです。
カールは1919年に亡くなっているので、この記念碑が取り換えられた時点では存命でした。
ローザ・ルクセンブルク、いないの?!と思ったのですが、やはり存命だったからでしょうか。
プレハーノフは1918年没。ぎりぎりですが、たぶん記念碑取り換えの頃は亡くなっていたのでは。

ロバート・オーウェン、オーギュスト・ブランキあたりが選外なのは?
謎は尽きません。

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