СВОБОДУ
というプラカードを掲げ、1968年8月25日、ラリーサ・ボゴラズら8人のソ連市民が、ロブノエ・メスト、赤の広場のポクロフスキー大聖堂の前の布告台で、8月21日に起こされた故国政府のチェコスロヴァキア侵攻(いわゆるプラハ事件)への不賛同を表した。
ロブノエ・メストЛобное место(額の場)
法令発布の場であり、重罪人の判決や処刑の場であった。
(ステンカ・ラージンなど)
この柵の向こうで。スパスカヤの星は、それらを見つめ続けてきたことでしょう。
ЗА ВАШУ И НАШУ
СВОБОДУ
あなたたちと私たちの自由のために
元々は帝国ロシアに抗したポーランドの人々の言葉だったと言う。
8月23日、詩人アレクサンドル・ガリーチは「ペテルブルグ・ロマンス」を書きあげる。
その中にこういうフレーズがある。
君は広場に行く勇気があるか翌24日コペロフとオルロヴァの部屋で開かれた集まりで、ガリーチはこの歌を歌う。
君は広場に行けるか
その定めの時に
それを聞いた人たちは、それぞれ秘かに決心した。
そして、25日正午。
この話を『モスクワの孤独』で読んで、ロブノエ・メストには折り鶴でも捧げたらいいのではないか、とちらっと思った。
しかし…上の写真をご覧になってわかるだろうか。
がちがちではないにしても、結構厳重な雰囲気で、不審な行動をとったら、そのときのボゴラズらと同様身柄拘束とか尋問とか面倒なことになるのがやっぱり怖くて、写真を撮っただけでした。
私は広場に行けなかった。
その勇気がなかった。
赤の広場・ロブノエメスト等10枚、ピカサのアルバムに追加。
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