2014年8月30日土曜日

親孝行の旅 その1飯田

長野県は各地方に対抗意識があるらしい。
それから、各都市間の交通はあまり便利でないらしい。
上田に住んでいる友人に「上田は松本から近いのか」「長野には?」「飯田には?」と聞いて、どれも「一度東京に出て、東京から行った方が近いかも」という答えが返ってくる。
飯田は長野県の南端の方なので、どこからも近くないみたい。

以前父が飯田の川本喜八郎人形美術館で公演をするというので、観に行こうかとバスの便を調べた。
そのときは結局行けなかった。ウクライナへ行くための打ち合わせと公演日が重なってしまったからだ。これは行かないと、これを逃すと父の操演する姿を観る機会はもうないような、そんな予感があったのだが。
翌年の春父は亡くなり、予感は現実になった。
数年後、川本先生も亡くなり、それでもまだ私は飯田に行けないでいた。
川本先生が亡くなってから、渋谷ヒカリエ8階にできた人形ギャラリーには何度か訪れたけれど、本家本元にはなかなか足を運ぶことができないでいたのだが、ようやく今夏母を誘って実現した。

飯田駅の駅前の舗道のタイルが、飯田で毎年8月に行われる人形劇フェスティバルのポスターの数々になっている。





ホテルから人形塔へ向かう道ににも。


人形塔ことハミングベル。時計の下の部分が、毎正時に開いて人形4体が出てきて音楽とともに動くのだが、ちょっとこれは期待外れ。
プラハの、とは言わないまでも、小田急ハルクのくらいではあって欲しかった。

さて、人形美術館へいざ。


ちゃっかり母が川本先生(左端)と父(右端)が映っている写真を持参していた。
その写真と諸葛孔明先生一緒に撮影。
私はすっかり忘れていたのだが、これは2007年8月14日のことで、人形美術館は2007年春に開館しており、その開館記念イベントの一つの公演だったのだ。
受付にいらっしゃった係りの方(というか館長?)が、このときのことを覚えていてくださっていた。

 この孔明先生の人形のみが撮影可。あとは撮影禁止です!(人形保護のため)
ちょうど23日が川本先生のお命日だったので、奥に先生の遺影とお花が。
(孔明の命日でもあるそうだ。)
そう、ロシアから帰ったら、母からまず川本先生の訃報を知らされたのだった。

母は感激のあまり涙ぐんだ、なんてことはなかったけれど、職員の方たちとだいぶ話しこみ、人形劇のことを楽しそうに話していた。
むろんたくさん買い込んでいたが、その一つが『華麗なる三國志の世界』(2001年海洋堂刊)で、これは川本先生の三国志の人形を元にしたアクションフィギュアが作られたときに刊行された本のようだ。アクションフィギュアに関しては無知なのだが、川本先生を偲ぶ会のときに曹操と呂布のものをいただいている(今、玄関に飾っている)。
それから木曽ヒノキしおり「曹操・典韋・献帝」シリーズ←渋い組み合わせだ。

川本先生の人形は何と言っても端正で品がある。
最近NHKでやっている「三銃士」や「シャーロック・ホームズ」も特徴的で楽しいし、辻村さんの人形はたまらなく妖艶だが、川本先生は上品且つ粋。さすがトルンカの系譜だと思う。


人形美術館の隣のこの建物のホールで公演があった。
 
リンゴ並木のリンゴは赤く色づき始めている。
 
 
人形美術館からすぐ、飯田市動物園は無料で、ラクダの故ツガルサンのいた横浜の動物園みたい。(それよりしょぼいですが。)
まずおはしますのはアメリカビーバー。
思わず「ビーバーさん!ビーバーさん!」と呼びかけると、応じてくれた。






あと人気だったのはアムールヤマネコの仲よし双子ちゃん。
 
2頭寄り添って寝ていた。

コムバロフくんたちみたいにそっくり。
但しこの子たちは姉妹。
 
 
長野は小学校の建物が立派!
追手町小学校の校舎(2学期が始まっているようでした)は洋館。
 
この奥に赤い三角屋根の校舎があり、その先は眺望の良い崖。
飯田はまさに丘の上の町。
 
飯田市美術博物館では、古代生物の展示をチャイコフスキーの名曲を聞きながら観るという贅沢を味わった。
アンモナイトから恐竜やマンモス類にチャイコフスキーはよく似合う(わけがない)。
美術の展示の方は今はお休みだった。パネル展示のみ。



ここで雨が激しくなり、母も疲労がピークになって、城址へ向かうのは諦めて、この日の町歩きは終了。
 
 
 名門バレエスクールか?
ロシア人名称になっている。

説明はつけていないけれど、あとの写真はこちらです。
 

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