2014年8月9日土曜日

川の向こう、隣の人たち 

イラン平和と友好の映画祭で、ブシェール原発の町の少年の友情の行方を描いた「独りぼっち」に続いて観たのは、イラン・イラク戦争を真正面から取り上げた、大御所キューマルス・プールアハマド監督作品「夜行バス」

いたいけな少年兵イサ、妻思いのインテリ兵エマド、何かを背負っている老バス運転手に託されたイラク側の捕虜たちはエマドの友人医師、偵察員ファルク、周辺地域からの傭兵たち等、ばりばりのバース党員(サダム・フセインに似せているのだろう)を除くとイランに恨みはない士気の低そうな人たちだが、絶え間ない銃撃・砲撃の中の捕虜移送を殆ど素人の数人がやるものだから危なっかしくて仕方ない。
イサ役の人、「オフサイド・ガールズ」で「ほんとなら故郷で牛の世話しているのになんで君たちみたいな都会のわがままお嬢さんの世話してなきゃいけなんだよ」とぼやく地方出身兵士ののぼっとした顔を思い出してならないのだけど、事態は遥かに深刻だ。
銃撃にさらされ、地雷原に迷い込み、戦闘地域真っただ中をおんぼろのバスは走る。
運転手はイラク側の捕虜になったらしい息子を探しているようだ。
減らず口だが人情味あるおじいちゃんだ。
(著名な俳優が演じているがこれが遺作となったとのことである。)
しかし、イラン・イラク戦争っていったい何だったのだろう?
監督たちの言によれば(作中人物の口を通しても繰り返し語られる)「かつてはお互いに自由に行き来し恋をしていた」川を挟んだお隣同士の人たちが、壮絶に殺しあわなければいけないのはなぜ?
2007年の作品ながら全編モノクロなのは血まみれの凄惨さを前面に出したくはなかったのとノスタルジーを感じさせたかったからと監督は述べていたが、実際カラーで腐臭漂う様子まで伝わるような映像だとだいぶ退いたかもしれない。
イラン側から言えば、バース党が政権をとったことで、彼らはイランに侵略するのみならず、自国民も抑圧している、と、悪いのは全てバース党というある意味非常に解り易い描き方をしていた。
(いや、バース党以外のイラクの人たちがそんなに士気が低く厭戦気分蔓延していたたら、この戦争も長引いてイランを追い詰めることはなかったろうと思うが。)
やや類型的・図式的な見解だと指摘することは可能だが、それ以上に「イランは対戦相手だったところの人々をもはや敵とはみなしていない」というメッセージを積極的に受け止めるべきだろう。
ウクライナもいつかそういう作品をつくることができるだろうか。

ロシア語で検索してみると、ここではロシア語字幕入りで観ることのできるので、ご覧になっていただきたい。
イラン映画だからこその説得力を持つ作品だと思う。
Q&Aのときに会場から世界の指導者たちにも観てほしいと言われて、監督は「タイトルを「夜行バス」から「平和のバス」にしようと思う。」とおっしゃっていたのは本気だろうか?
ちなみにイランの指導部はご覧になったそうだ。

監督は長身でした。

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