2015年2月8日日曜日

パリのデパート「新バビロン」

もう15年も前になるのか。
同僚から招待券をもらって、「東京の夏」音楽祭に行った。
ホール中ほど、やや上手よりの実に良い席で、おまけにプログラム引換券まで付いていた。
(自腹でチケットを買った友人の席は1階のかなり後ろの方だった。そのことをちょっと皮肉られた。)
映画と音楽 − 映画は音楽なしでは生きられなかった」というのがテーマで、日本の古い映画と、トラウベルク&コージンツェフの「新バビロン」の上映に、それぞれ生演奏がつくというものだった。

「爆弾花嫁」というコメディー映画は、よくわからない電子音楽がついた。
これはどうかなあというものだった。
笑うべきところでヒュ~ドロドロ系のお化け屋敷みたいな音が出ていたので、なんか変!という印象を持った。
映画そのものは面白かったと思うのに、音楽余計、そんな感じ。

そこへいくと、「新バビロン」はさすがショスタコーヴィチだった。
純粋に映画を楽しめ、音楽の違和感は全くなかった。
(生演奏は東京フィルハーモニー交響楽団であった。)
ストーリーはパリ・コンミューンの敗北というプロパガンダ映画の一種なんだけど(いろいろ突っ込みどころはあるが)、ショスタコーヴィチの音楽の効果もあって盛り上がるところは盛り上がる。
新バビロンというのはパリにあるデパートの名前ということになっている。
そしてこのデパートにはなぜか同名のキャバレーがあってお金持ちの方々が軽演劇や音楽、飲み食いに楽しんでいる、という設定。
この辺の軽いノリの音楽と、パリ・コンミューンの闘いのドンパチ型の音楽の組み合わせの妙、というか無理やり感がよい。

このコンサート後、後ろの方の席だった友人と、他にもシネクラブの知人を交え、「爆弾花嫁」に付された音楽の不自然さへの文句と、「新バビロン」のショスタコーヴィチ賞賛とでしっかり話が盛り上がったのだった。
友人は「爆弾花嫁」自体を評価していなかったが、知人と私は映画自体はおもしろかったのに音楽がね、という立場だった。ショスタコーヴィチについては3人とも完全一致。

その後、「新バビロン」は一回は観ている。
アテネ・フランセだったろうか、シネクラブだったろうか、川崎市民ミュージアムだったかな?
2回目のそのときは、もしかしたらサイレントだったかもしれない。
割と集中してストーリーと映像に注視していたから。
エキセントリック俳優工房の、今観ると、いかにも大仰な俳優たちのしぐさ(クレショフとかもそうだけど)を楽しみながら、ピョートル・ソボレフスキー演ずる政府軍兵士ジャンの情けなさ、ふがいなさにほとほと参ったものである(結局最後まで情けない男なのである)。

今日は、オーケストラ・ダスビダーニャの第22回定期演奏会で、この「新バビロン」が取り上げられた。
このショスタコーヴィチ愛好家たちによる年に一度の演奏会、さすがに映像はなく、取り上げるのも「戦争」「パリ」「ヴェルサイユ」の3曲抜粋という形だったが、久しぶりの「新バビロン」(今回の演奏会では「ニュー・バビロン」)なので、楽しみだった。
楽しみにしていたのは演奏者の方々もきっとそうだったのだろう。
映像はなかったが、その分いろいろ趣向を凝らして演劇的だった。
言ってみればオペラを演奏会方式でやるような、特にパーカッション担当が忙しく立ち働いていましたよ。
なんかポクロフスキーのモスクワシアターオペラみたいだった。
選曲からも察せられる通り、喧噪と狂乱のブルジョアのパリに焦点が当てられていて、プログラムにも「映画の底辺を流れる悲劇とか社会主義リアリズムとかは一旦お忘れいただき、(略)見せどころ満載の映画音楽で、純粋に19世紀後半のパリを満喫していただけると幸いです。」とあるように、今回の演奏においては、パリ・コンミューンの革命的、プロパガンダ的な部分はすぱっと捨象されていて、それは私としてはかなり残念なところだった。
(但し、エキセントリック俳優工房によるこの映画は元々社会主義リアリズム<<<アバンギャルドだと思う。)

オーケストラ・ダスビダーニャの本日のプログラム
1.交響詩«十月»作品131
2.映画音楽«ニュー・バビロン»作品18より抜粋「戦争」「パリ」「ヴェルサイユ」
3.交響曲第8番作品65
いずれもドミトリー・ショスタコーヴィチ
そしていずれも、冬の日に熱い熱い熱情の演奏なのだった。

来年も楽しみにしている。


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