2014年1月5日日曜日

作家とサッカーその11 ローラン・ビネ

フランス人作家は時として東ヨーロッパものを手掛けてみせる。
亡命・移住したロシア人作家もいるが、出自においては関係ない人も。
『四人の兵士』のリリシズムは忘れられない。

ローラン・ビネは兵役でスロヴァキアのコシツェに赴任し、かの国の兵士たちにフランス語を教えた、ゆえに芯からスロヴァキア好き。

彼がものした小説『HHhH プラハ、1942年』は、フリッツ・ラングの「死刑執行人もまた死す」などで取り上げられた、ヒムラーの右腕にしてユダヤ人大量虐殺の首謀者、当時のボヘミア=モラヴィア総督ラインハルト・ハイドリヒ、彼を暗殺すべく亡命チェコ政府によって送りこまれた二人のパラシュート隊員、スロヴァキア人ヨゼフ・ガブチークとチェコ人ヤン・クビシュ、これら実在した人物の、記録に基づく、一種の歴史再現ドラマといった様相を見せる。
この暗殺計画が<類人猿作戦>と名付けられていたとは知らなかったが、さんざん映画でも取り上げてきた話で、ビネもこの種のものを資料として片っぱしから読んだり書いたりしているので、上記のラングの映画に加えて、ロメール「三重スパイ」とか、「ブラック・ブック」とか、「ヒトラー最期の12日間」とか、ああ観た観たというのが出てくるのだ。ふむふむ、と読み進めていく。(こういう話なので「おもしろい」と言ってしまうのは気が引ける。)
この資料収集のオタクぶり(←恋人ナターシャ当然呆れる)は笑える。

この中で、ビネはふと、舞台をキエフへと移す。
キエフ、バビ・ヤール、そしてあのスタジアム。

「事件が起こったのは1942年の夏で<類人猿作戦>の主役たちとは何の関係もない。だから、本来この小説で語られるべきではない。」

なんて書きながら(160ページ)、結局書いちゃっているのだ、ディナモ・キエフに纏わるあの伝説的な「死の試合」のことを。ほんの3ページほど。

「なにしろハイドリヒとは直接関係のないことなので、あまり深く調査をする時間もなく、いくつか不正確なところがあったのじゃないかと心配だが、この信じがたい事件のことを語ることなく、キエフについて語りなくなかったのだ。」

ナチス式敬礼を拒んでソヴィエト風パフォーマンスをしてのけ、必ず負けろと言われながら試合に勝利した(しかも二度とも)ウクライナのサッカー選手たちは、4人の処刑という報復を受けた。
ナチス総督を暗殺しようとしたチェコとスロヴァキアの民も、承知のとおりリディツェ村の住民虐殺という報復を招いてしまう。
それを暗示、というよりあからさまに示したということなのだろうか。

最初私は、わざわざキエフの死の試合のことを記述したビネは、サッカー好き、ことによるとディナモ・キエフかスラヴィア・プラハかあるいはスロヴァキアのどこかのクラブが好きなのかもしれないと思ったが、ロンドンにおける亡命政権の軍隊同士のサッカーの試合のエピソード(187ページ)にしても、ただただあっさりしていて、さほどサッカー愛は感じられなかった。
後には
3 スポーツなんて、結局はろくでもないファシズムじゃないか。
というシニカルなご意見を偲ばせている。

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