手紙を出すと、返送はされないので届いているようなのだが、返事がない。
電話をしても出ない。
共通の友人に聞いたが、やはり同じように、手紙でも電話でも連絡がつかないという。
入院しているのでは?あるいはもっと悪いことが起こっているのかも、と気にしながら、5,6年経っていた。
思い立って、訪ねてみることにした。
その番地の地図を印刷し、最寄駅から思い悩みながらそこに向かった。
○丁目○番○号のその場所は意外と広かった。
何軒ものアパートがあった。
空き室も多く、郵便受けに名前が書いてあるところは半分くらい。
彼女の苗字はない。
同じような形の小さなアパートが並び、奥に広くて風情のある古い家があった。
彼女はよくその季節になると枇杷を大量に持ってきて皆にくれていたものだったが、古い家の庭には果たして枇杷の木があった。
ただ、表札にある苗字は彼女のものではなかった。
木の下に赤猫がいてみゃあみゃあ鳴いていた。
呼び鈴を押してしばらく待った。
・・・・・・・・・・・・
誰も出なかった。
もう少しその辺りを見て歩いた。
路地の向こう側も同じ地番だ。
この家々の一軒一軒呼び鈴を押して、彼女のことを聞いてみようかと、迷っていた。
隣接する番地の家、確実に人がいそうな工務店などの前を通りながら、暗い思いがよぎった。
と、そのとき、路地を猫が横切った。
さっきの家の庭にいた赤猫とは別の、シャム猫風。
路上駐車の自家用車の下に潜り込んでしまった。
呼んでみた。
すると出てきたが、またあっという間に走り去った。
走り去ったシャム
さっきの家のところには、いつのまにか猫に餌をやろうとしている女性が現れていた。
私は走り寄った。
女性は「ここの家の猫なんだけど、飼い主が病気をして息子さんが餌をやらないから」
自分が猫に餌をやっているわけを、問われる前から説明している。
ああ、マーシャ、マーシェンカ!
やっぱりあなたじゃないの!
無類の猫好き。
彼女は私のことがわからないようで、“猫に餌をやっているのに不審に思った他人”に対する態度で、私に話しかけるのだった。
私は名乗った。
彼女はやはり入院していたこともあり、目が悪くなっって手紙を書くのがとても難しくなったとのことだった。
かつての家(おそらくそこで育ち、ご両親を送ったであろう親の代からの家)は数年前に売り、今の家は小さいのだと言った。
そして、以前もそうだったのだが、親戚の男性の介護に追われているとのことだった。
さっきの赤猫は、彼女が置いた餌を食べたそうに近くに来ていたが、私という不審者がいるせいでなかなかそこまでやってこない。
困ってみゃあみゃあ鳴き続ける。
そんな中で話を続けたのだが、さっきまっしぐらに逃げて行ったシャムは赤猫の姉妹なのだということ。
彼女は今、韓国ドラマにはまっていて(特に「トンイ」)、TVはないので携帯のワンセグで観ているのだということ。
私の近況。
また会うことを約束した。
たぶん日曜の礼拝の後、最寄り駅で。
帰ったら手紙を書くことを心に誓った。
それと、友人たちに知らせることも。
それから電車で西荻へ。
3×5センチのユートピア ソ連・東欧のマッチラベル展
予想以上に盛況だった。
同じ風合いのシリーズが続々とあって圧巻だった。
帰宅。
年末、仕事納めの日に届いたアネモネは、だいぶ豪快に開花しているが、まだもっている。
思えば、彼女に会えたのはひとえにあの猫のおかげだ。
神様がおつかわしになったに違いない。
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