2015年3月1日日曜日

2018年ワールドカップまでに

ロシアで開催されるワールドカップについては、スタジアムや交通手段や宿泊施設などのインフラ整備だの、選手やスタッフ、観戦に訪れる人たちの受け入れ態勢など、取り組んでいかなければならない問題が、どうせ山積しているのだろうと思料する。
と、硬い話で始めてしまったけれども、経済状況の悪化やら、政治的な背景も影を落としたりで、何ともくも行きが怪しいのであるが、それらについては私が心配してもどうにもならないので、ここでは触れない。

私が問題にしたいのは別のことだ(これらだって私が心配したって仕方ないことなんだけどさ)。

2018年までに、ロシア代表は復活できているのか?今、さっぱり有望な若手が育っていないけど、間に合うの?大丈夫なの?というのは、それはそれですごく心配なんだけど、今回言いたいのはそのことでもない。

先日、「サッカー好きの作曲家ショスタコーヴィチが応援していたゼニト」という類の文言(註:正確な引用ではありません)をネット上でみかけ、あれ?ショスタコーヴィチが贔屓にしていたのはゼニットじゃなくてディナモ・レニングラードだったでしょ、と引っかかった。
『驚くべきショスタコーヴィチ』や『わが父ショスタコーヴィチ』の記載だと、ショスタコーヴィチがソ連各地に観戦にでかけ、選手たちと交流を深めていたのは、ディナモと明記されているのだから、ショスタコーヴィチが贔屓にしていたのはディナモ・レニングラード(現ディナモ・サンクト=ペテルブルグ)で間違いはないと思う。
が、ゼニットに関しては「ディナモを応援していたんだから、当然ゼニットはライバル、応援などしていなかった」と結論付けられるのか、確証が持てなくなってきた。
サッカーファンとしては(しかも度を越した熱狂的な)、普通に考えたら、同じ都市の別クラブを一緒には応援しないだろうが。
「ショスタコーヴィチがゼニットのファンだった」説は英語のウィキペディアにあるという。
はっきり言って、これまでの音楽学者やロシア芸術関係の学者たちにとって、作曲家の贔屓のクラブがどこかなんて、全くどうでもいいことだったのだろう。
でも、私はこの際解決しておきたいな。
上記2冊の伝記本も、とても貴重な記録であり、よく日本語に訳してくださったとは思うものの、サッカー関連の言葉に関しては「サッカーやらないし観ない人が訳したんだな―」という印象は受ける(特に亀山先生の方は時代的にも古くなっちゃったな、と感じる。「赤い暁光」とか、却ってアナクロでカッコいい気もするけど、クラブ名の訳だったらそのまま音読みで「クラスナヤ・ザリャ」とかにするだろ、と思わずにはいられなかったぞ)。
で、サッカー方面の人にとっては、ロシアとか旧ソ連圏のサッカーなんて殆どどうでもいいんですよね、日本人選手(である程度知名度のある人)が所属していない限り。
なので、せめて2018年のワールドカップまでには、現在絶版になっている良書『驚くべきショスタコーヴィチ』は改訳再販してほしいという、大いなる希望を持っている。註もつけるように、と密かに期待する。

それにネット上に挙がっていたショスタコーヴィチとサッカー関連の情報で気になったのがもう一点。(ほとんどの人にはどうでもいいことです。)
ショスタコーヴィチがサッカーの審判員の資格を持っていた、と明言しているものが散見したのだけれど、ほんとうですか??
尊敬する大平先生の『ロシアサッカー物語』によれば、1935年には審判員になるための講座を受ける気でいたけれど、さすがに多忙につき断念せざるを得ず、だったようで、ここにロシア語の動詞の完了体・不完了体の意味の違いを汲んだ訳出が求められるところにみうけられたのだが。
『わが父ショスタコーヴィチ』によれば、息子マクシムが1941年以前に審判員の資格を取得したと書いている。
はっきりしてほしいな。

ショスタコーヴィチを愛していて、その上にサッカーに関してもぞんざいに扱わない人、ロシア関係者ではこれまでなかなかいなかったのだけれど、毎年ショスタコーヴィチを演奏している例の情熱集団の方たちでどなたかいらっしゃいませんか?

ショスタコーヴィチだけで何点かあったけれど、オレーシャ等等、最近で言えばスパルタークファンのスモリヤニノフくんまで含めて、ロシアの有名人とサッカーとの関連性について、ネット上の言説を拾うのではなくて真面目に追っかけたものを、ワールドカップまでに是非どなたか研究対象にして(と書きながら、私以外に誰が関心を持つのだという気がしてきた。)

これでおしまいにするつもりだったが、もう一つ以前から願っていることがあったのを思い出した。
バレエ«黄金時代»(初演版)(つまりサッカー選手版)をロシアのバレエ団が来日公演してほしい。

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