2015年3月24日火曜日

マーマ、ロージナ、ソ連映画

「ガガーリン」「エレナの惑い」「ヴェラの祈り」「神々のたそがれ」と、ロシア映画の上映は細々とながら途切れなくあって、それぞれ結構おもしろく観られる。

ここへきて本格派ソ連映画というか、巨匠の知られざる作品の上映があるというので、この機会を逃すものか!と、仕事のシフトを変更してもらって、シビックセンターへ!!

アブラム・ロームの「襲来」
"Нашествие"直訳すると「侵略」)1945年アルマアタ映画撮影所

ソ連での公開が1945年2月2日であるから、独ソ戦中に作られ公開された、ソ連の戦争映画である。
戦争映画と言っても戦闘場面が中心ではなく、ファシスト(ドイツのことを普通にこう呼ぶ)に占領されたロシアの町の人々を描いている。
1927年の「ベッドとソファ」では繊細な心理描写を見せたロームだが、そのロームでもこの映画は時代柄まあプロパガンダ的な作風と言ってもいいかもしれない。
オレグ・ジャーコフ(共同監督でもある)演じる主人公は、刑務所帰りでいい年して悪ぶって家族に対して素直になれないでいるが、結局のところ「正しい生き方」をして祖国のために闘い、家族もそんな彼を誇りに思うという、予想通りの展開ではあったが、そういう二面性を上手く演じていたとは思う。
母親役はロームの連れ合いオリガ・ジズネワで、気丈なソ連の母を演じていた。
けど、家族も周囲も、そういう方法に「それでいいのか?」という思いは去らなかったが…。

上映後、マクシム・パヴロフさんの解説、質疑応答があって、知ったこと。
その1
主人公のひねた態度から、私は彼の「罪」は普通の刑事事件なのかと思ってしまったのだが、政治犯なのだと。
(このへんの状況設定はやや複雑で、原作であるレオニードレオーノフの戯曲初版では政治犯設定、第二版では恋愛絡みの刑事事件と変更、戯曲初版をベースにしているこの映画では一応政治犯ということなのだが、この映画が1941年という時代設定になっており彼の刑期が3年だったということから、1938年の大粛清を連想させ、政治犯であるとほのめかすというものなのだそうだ。ああ、この手のほのめかしには私は疎いのだよ。)
その2
舞台となったのはどの町か、という質問があった。
マクシムさんは「ロシア国内では(それに他の国でも?)聞かれないことだが、日本では山形でも同じ質問を受けました」とおっしゃる。日本人にはなぜか気になる点のようで、実際私も「これはどこの話なんだろう?」と映画を観ながら思ったのだった。
戯曲は未読なのだが(邦訳は袋一平訳で早川書房)、それにはどこかわかるように書いてあるのだろうか?
ともかく、映画では都市の名前は特定されていない。
1941年8月5日にドイツ軍が侵攻し、12月位赤軍が奪還していること、モスクワの情勢が入りやすい様子からして、モスクワから南西に200-300キロあたりの町が想定されているらしい(マクシムさんはヴャジマを例に挙げていた)。
なお、この映画はアルマアタ映画撮影所で撮影されたのだが、爆撃シーンなどの外の場面の撮影はカレーニン(現トヴェーリ)で行われたとのこと(カザフのアルマアタ(現アルマトィ)にはモスクワやレニングラードから撮影所が疎開して「イワン雷帝」などの撮影が行われ、この映画もそうだったのだが、1944年頃にはソ連軍の勢いも盛り返し、トヴェーリあたりでの撮影も可能になっていたのだ)。
その3
セルゲイ・ゲラシモフ監督の「若き親衛隊」との比較について発言があったのに対して、マクシムさんは「あれはウクライナの対独パルチザンで、あのあたり(ドンバス)はドイツ占領がかなり長く続いていたので、この映画の舞台のロシア南西部の状況とはかなり違う」とのことだった。
どういう風に違うのかまでは話さなかったが、ソ連の人にとっては周知のことなのかもしれない。
しかし、ウクライナなどとロシアのドイツ占領を扱った映画を何本か観て違いについて考えてみたいものだ。
その4
帰還者の(英雄的)行為がテーマ
”放蕩息子の帰還”から英雄的行為によって名誉回復へ。
その手の映画、多いからこれも比較検討するのは面白いと思う。



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