2015年3月25日水曜日

Кошка с котятами живёт...猫は生き延びる

今年はちょうど70年目になるから、3月10日の東京大空襲も例年より大きく取り上げられていたような気がする。
(80年目はどうなっていることやらかなり心配ではある。)

東京っ子だから、郷土学習?地域学習か?では、東京大空襲のことは勉強した覚えはある。
近所のおばあさんに話を聞きに行った。
テープに録音させてもらって、後でテープ起こしをした。
典型的な江戸っ子言葉をこのとき初めて意識して聞いたのではなかったか。
空襲の中、子どもをおぶって逃げたが、その子どもは助からなかった。
自身も重傷で、夫の必死の看病で九死に一生を得たというものだった。

今日観に行った映画「猫は生きている」の原作も、もちろん読んだことはあった。
映画も観たことがあったかもしれない、と思いながら観に行った。

しかし、私の記憶に残っているのは、今日観た人形劇映画ではなくて、生の人形劇だった様に思う。
ライブの人形劇でも映画でも、操演は人形劇団京芸だ。
さすがにストーリーはあまり覚えていなかったが、水難のときには母猫が子猫を一匹ずつ咥えて救出するところやしっぽを咥えて一列縦隊で避難する場面、爪をはがしながらも穴を掘って子どもを守ろうとするクライマックスなどは徐々に思い出してきた。

でも、猫たちこんなに可愛くなかったか?!
人形デザインもさることながら、鳴き声がまたかわいくなーい。
この劇の数年後には「魔女の宅急便」を観に行って、それはうっかり”デート”で観に行ったのだが、私は映画中で猫が鳴いている場面で無意識に「にゃーお!」と復唱していたということだ…という痛恨の過去があるけれど、「魔女の宅急便」は内容はともかく、猫の鳴き声は復唱したくなるような可愛いものだったのに、「猫は生きている」の猫たちの声は全く復唱するような気にはなれないような、ほぼ人間の声での「にゃーお」だった。

とはいえ、これは今になってから70年前の出来事を観ているからで、30年前につくられたこの映画は、空襲の怖さを余すことなく伝えている。
実写で空襲場面の再現をするような財政力は、労組主体のこの製作者たちにはとてもなかったから、人形劇での表現となったわけだけれど、現代の若者に通じる感覚なのかどうかは自信が持てない(私の目から見てもすごくレトロ感漂っていた)が、迫力はものすごく、幼いころに観たらトラウマになってもおかしくなさそうだ。
(人形劇を観た私は衝撃のラストはすっぽり記憶に残っていなかったが。)

繰り返すが、これは人形劇映画だ。
パペットアニメーション(人形を使ってのコマ撮り)ではなく、人形(おそらく片手遣い)を操演しているのをノーマルスピードで撮ったものだ。
この手の映画としてはイジー・トルンカの「クターセクとクティルカ」を思い出す。
(ちょっと比較の対象が偉大すぎるなあ。)
もはや私たちは、「人形劇三国志」や「平家物語」、また「三銃士」などを観てしまっているから、いよいよ本格的になった人形での表現を知ってしまっているから、30年前の人形劇に関して、人形の肩手の動きがずっと止まっていてだらっと垂れているなとか、アップが多い割には動きの雑さが目立つよね、とか感じてしまうが、TVとか映画などでの人形の動かし方がまだ確立していなかったのだろうと割り引いて考えてみる必要があるだろう。




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