2024年12月6日金曜日

録画メモ:フィンランド編 翻弄される国境の町/ムーミンたちの戦争と平和

フィンランドのドキュメンタリー

① 翻弄される国境の町

②ムーミンたちの戦争と平和


録画メモ:関心領域

 え?もう放映するの?この間公開していたのに(見逃したが)

と驚いた。

ひとまず録画。後で観る。


*クラシックTV ショスタコーヴィチ 2025/1/20

*バタフライエフェクト 戦争のトラウマ 2025/1/20

*旅するローマ教皇 2025/1/23

*関心領域 2025/2/3

2024年11月29日金曜日

オデッサ海岸通り: 今年のクリスマスに贈る本(2024年補充)その2

補充するなら、むしろこちらの方がお薦めかも。
コズロフ&ファジェエヴァの『雪の花』


オデッサ海岸通り: オデッサ海岸通り: 今年のクリスマスに贈る本(2024年補充): 聖なる夜に 著者 : ピーター・コリントン ビーエル出版 発売日 : 2000-11-01 ブクログでレビューを見る» 「こころの友」に掲載されていたクリスマス本。 トレーラーハウス住まいの老女がアコーディオン演奏で日銭を稼ごうとするもとうとう質に入れてやっとの思いで得た小銭をひ...

オデッサ海岸通り: 今年のクリスマスに贈る本(2024年補充)


「こころの友」に掲載されていたクリスマス本。
トレーラーハウス住まいの老女がアコーディオン演奏で日銭を稼ごうとするもとうとう質に入れてやっとの思いで得た小銭をひったくりに奪われ(奪う者、破壊する者の心の闇が恐ろしい。)、雪の中で倒れてしまう。そこで”小さな奇蹟”(原題)が起きるクリスマスの晩、というのは『くろうまブランキー』をはじめ幾多のクリスマスの本に準えることができる。それまで現代的な背景だった絵本の世界が一気に古からの伝統的な枠に入ってくる。
台詞がないのはいいが、コマ割りが細かすぎるような気がする。

今年(2024年)さらに一冊補充した。


オデッサ海岸通り: 今年のクリスマスに贈る本(2020年補充): 数年ぶりで補充する、「今年のクリスマスに贈る本」 猫のユーユー~クプリーン短編選 (群像社ライブラリー) 著者 : クプリーン 群像社 発売日 : 2020-11-25 ブクログでレビューを見る» オデッサ海岸通り: 今年のクリスマスに贈る本 : もう12月! というわけであ...

2024年11月18日月曜日

オデッサ・スタジオ: ぼくとパパ、約束の週末~推しの旅はこれから

オデッサ・スタジオ: ぼくとパパ、約束の週末~推しの旅はこれから:   自閉症の少年ジェイソンが推しのサッカークラブを見つけるために父と週末ドイツ国内スタジアム巡りの旅をする。 10歳のジェイソンが贔屓クラブを決めるにあたってのルールが「サステナブル」とか「ナチス排除」とかグレタさんっぽい地球環境問題活動家的な視点があるのはちょっと滑稽な感じもす...

2024年11月6日水曜日

日本史上初の女性の労働弁護士の軌跡が面白くないはずがない

 

積読、というより、棚の奥にひっそり横たわっていたままだった。

もっと早くに読むべきだったのに。

相磯まつ江先生の来し方を書籍化したものを、ずっと前に上司からいただいていて、今になって読み始める。
相磯先生、「日本初の労働弁護士」だったのか。
学校を卒業して結婚・離婚を経て、夜学に通って司法試験合格、労働弁護士としての駆け出しの日々において、当然と言えば当然だが『虎に翼』以上に凄まじい男尊女卑の壁にぶち当たりながらも突破して道を切り開いてきた人生。
(初の女性裁判官の『虎に翼』の場合、やはり最初からエリートで、まあそのエリートながらも男女差別に苦労したというものだったが、相磯先生は農家の生まれだ。)
法曹界、とりわけ民主法曹というべき「労働弁護士」の世界で、労働組合で、悲しいことにさもありなん・・・という女性蔑視発言や待遇(旬報法律事務所よ、相磯先生に職印すら作ってあげなかったのかい!)をくぐり抜け、飛び越えてきた、偉大な女性弁護士の軌跡を、読みながらわくわくしている(女性差別の描写には怒りが煮えくり返るが)。

しかし、夫の芹澤先生にしても、”通称でも芹澤姓を名乗って欲しいと求めた”のか。当時の時代状況からすると当たり前なのかもしれないけれど、残念な感じはある(結局、相磯先生の説得で納得されたとはいえ)

それと、当時の社会党はだいぶまともだったんだなあというのも、かなり時代を感じさせる。今は昔なりけり。


2024年10月31日木曜日

今年のお薦めクリスマス本候補①『雪の花』

 今年のお薦め、といっても新刊ではない(2018年刊)なので、店頭ではなかなか手にするのはむずかしいかもしれないのだが。


ナルニア国の『ハリネズミと金貨』原画展に行った時に、原画展をすぐ出たところの本棚に一冊だけ置いてあって(原画展の画家オリシヴァングの絵ではなくて、同じ作者のコズロフの作品ということで置いてあった)、ここでもハリネズミさんが主人公で、熊の坊やも登場する。(この二匹はノルシュテインの『霧の中のハリネズミ』と同一キャラクターであろう、ただ、『金貨』ではハリネズミはご年配者であるが…)。
より一途な友情に溢れた世界で、ひと頃のイラン映画の子ども~青年のようで、胸震える。
で、一冊しかないその本を、買おうと思ったのだが、同じく原画展を観ていたご年配の女性が傍らに来て手に取りたそうにしていたので、なんとなく譲ってしまった。彼女は甲府から上京、必ず寄ることにしているナルニア国に来る前に、腰の痛みを労わろうと4階のカフェで一休みしてからようやく9階まで辿り着いたのだと、店員さんに話しかけていた。そして、この本を含めそのあたりの絵本をごっそりレジに持って行って、お買い上げになった。店員さんは「大丈夫ですか?」と気遣っていた。
彼女が立ち去った後に、あの本はあれで最後だったのですかと聞いたら、やはりそうだった。残念ではあるが、遠くからやってきた彼女が手に入れられてよかったのだと思う。
Amazon等ではまだ手に入るようであるし。

ノルシュテインやオリシヴァングとはまた違った風合いのファジェエヴァの絵もすばらしい。


2024年10月11日金曜日

録画メモ:ブリッジ・オブ・ヘル~独ソポーランド戦線

*ブリッジ・オブ・ヘル~独ソポーランド戦線

2015年製作のロシアの戦争映画。(しかし、WOWOW上のジャンルが「アクション/冒険・歴史劇/時代劇/西部劇」←西部劇)

未見。

録画メモ:ロシア関連ドキュメンタリー

 *ロシア 小さき人々の記録 2016年4月23日録画

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチについてのドキュメンタリー

初回放送は2000年11月4日とのこと。随分前なんだ。

*“プーチンの戦争”あらがう女性たち ロシア・銃後の社会で何が

動員兵の妻や母らのネットワーク「プーチ・ダモイ」のこと。奈倉有里先生が解説。



録画メモ:熊は、いない/聖地に蜘蛛が巣を張る

 *聖地に蜘蛛が巣を張る は未見

*熊は、いない

昨年、これを観てから(先行して息子の「君は行く先を知らない」を観ていた)母の介護に突入したので、しばらくは映画を見に行くことを控えざるを得なくなった。ある意味での映画納めになったのだが、そんな心の飢餓、不自由さを反映させもするような、パナフィ節の作品なのだった。苦しい思いが去来する。



2024年10月8日火曜日

録画メモ:ペルシャ・レッスン/父は憶えている

 *ペルシャ・レッスン

タイトルからは内容をすっかり忘れていた(ショックだ)。

製作国はロシア・ドイツ・ベラルーシとある。

シャフナザーロフのソ連時代の作品に、中央アジア方面の発掘現場から始まる”いけてない青春もの”があったが、主人公はペルシャ語を学ぶんだよね。タジクだけじゃなく、シルクロード一帯の研究のために。

そういうのは現実感を持てるけれど、この映画のペルシャ語の扱いはその点ちょっとなあという気がしてあまり入り込めなかった。私自身は未だにペルシャ語を学ぶ覚悟ができていない。


*父は憶えている

「ブランコ」や「ベシュケンピール」「あの娘と自転車に乗って」の頃はかなり好きだったのだけれど、最近の彼は変人の老人を描くようになってちょっとなあ・・・という感じ。この作品も敢えて映画館で見る気にはなれず、WOWOWの放映を録画した。



録画メモ:ある人形遣い一家の肖像/遺灰は語る

*ある人形遣い一家の肖像

人形劇の仕事を継ぐ気持ちは昔から一切なかったが、どう思っていたのやら。今になってはわからない・・・。

昨日NHK教育TVで「人形歴史スペクタクル 平家物語」の再放送が終わって、父を再び見送った気分になっているが、SNSで絶賛されているのは嬉しいものの「もう今ではこういう作品は作れない」と断言に近い書き込みが多く、実際に操演していた方たちも口々にそうおっしゃっているのだが、それでいいのだろうか?ととても悲しく思っている。どうにかして、将来も人形劇が続いて欲しい。私が思っているような、伝統的なスタイルではないにしても。

*遺灰は語る

タヴィアーニ兄弟作品。

2024年10月6日日曜日

録画メモ:ロシア関連ドキュメンタリーいろいろ

 *姉に会いたい ラトビア 再会の旅路 未見

*インサイド・ロシア 国民の“声”はいま 観たかもしれないがあまり覚えていない

*ロシアを捨てたロシア人たち 

アルトゥール・スモリヤニノフくんを思わせるタイトルで心痛む。しかし、「捕虜となった夫を追い、祖国を捨てウクライナで生きる覚悟をした女性」については、再会した夫が終始暗い顔で全然喜んでいなくて感謝もしていないようで、家族崩壊しそうだなと感じる。戦争に踏み切ったロシアがいたたまれなくなって国外脱出というモンゴル行き、あるいはアルゼンチン行の人たちはともかく、間違いなく”利敵行為”をしている(ロシア政府、またはロシアの普通の人たちからすると要するに”裏切者”にあたる)前述の捕虜の妻とかウクライナで活動している人たちに関しては、ああそれじゃあロシアにはいられないし未来永劫ロシアには戻らないのだろうなという感じであまり同情心は湧かなかった。繰り返すが、捕虜夫はあずかり知らぬところで妻がそういう動きをして彼自身故郷・肉親と引き裂かれてしまった動揺が隠しがたく、重く悲しい。今後の人生が・・・。スモリヤニノフくんは・・・「ウクライナのために戦うだろう」と言っていたよな。もう二度とモスクワの舞台には戻らないのかしらん。

*ジェナの世界 ロシア “恐怖”と闘うアーティスト

ロシアの所謂反体制アートに関しては、反体制というだけで西側には評価されがちなのかもしれず、有名なプシーなんちゃらとかヴォイナとか私は大嫌いなのだが、ジェナ氏もまああんまり近寄りたくはない類のアーティストだと思った。ペテルブルクのあの反戦パフォーマンスのお方を取りあげて欲しい。とはいえ外国メディアに変な風に取り上げられない方がいいのかもしれないけれど。

*鎮魂 香月泰男のシベリア・シリーズ


2024年9月23日月曜日

録画メモ:100人の子供が/映画はアリスから

 WOWOWでやっていたドキュメンタリー映画特集から

*映画はアリスから始まった

*100人の子供たちが列車を待っている

これは懐かしい。今は亡きBOX東中野で山形国際ドキュメンタリー映画祭の東京上映で観た、ずっと前のことだ。ラトヴィアの「踏切のある通り、ミシェル・カレフィやアモス・ギタイのパレスチナを巡る作品群・・・懐かしい。


10月からまた山形国際ドキュメンタリー映画祭の諸作品の特集上映があり、なんと「100人の子供たちが列車を待っている」のイグナシオ・アグエロ監督の新作「ある映画のための覚書」も上映されるのだ。今度も鉄道絡みの話のようだ。

カレフィ、いまはクレフィと表記するのか、「石の讃美歌」「ガリレアの婚礼」「ルート181」懐かしい作品もラインナップにある。パレスチナ特集があるからなのだが、厚有状況だから素直に喜べないな。早く、過去のことになって欲しい。

今日もフリーパレスチナのスタンディングに行く。

2024年9月11日水曜日

 




 



さすがにロシア語・ロシア文学研究者は最初から気合が違うな、とか、ロシア留学中での先生・僚友たちとの交流を微笑ましく思ったりしながら、どんどん読み進めていたのだが、アントーノフ先生の話は何とも切ない。それではとても言い足りないけれど。

しかし、これからもこの著者を通じてロシア文学が日本語で紹介されていくだろうと思うと嬉しい。著者の今後がほんとうに楽しみ。
ノーベル文学賞作品を下敷きにして書かれた小説というと昨年初頭に読んだ『あの本は読まれているか』が記憶に新しい。
https://kirakocma.blogspot.com/2021/03/blog-post.html

この本も、タイトルからしてノーベル文学賞受賞者(作家というよりジャーナリストだが)スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』が即座に想起されるであろう。かの本は日本でコミカライズされ、NHK「100分de名著」で取り上げられ、多少知られるようになったまさに名著ではある。
”この本”『同志少女よ、敵を撃て』は無論アレクシェーヴィチやアントニー・ビーヴァー等の著作を読み込んだ上でのフィクションだが、この本もやがて映画化やコミカライズされて、もっと多くの人に届くようになるのだろうか(それを願う)。
※アルトゥール・スモリヤニノフくんはもうこういう戦争映画には出演しないかしら

Twitterのフォロワーさんが指摘していたことだし、一読して鈍い人でも気づくだろうが、ソ連の女性狙撃兵のシスターフッド全面に押し出したミリタリーものと言いつつ、実際にはもっともっと硬派のフェミニズムが見えてきて嬉しい(『あの本~』でも感じたこと)。”この本”の作者は男性、でよいのだろうか?にしては随分踏み込んで書かれていて感心する。
主人公セラフィマは、個人的な怨恨はともかく”女性を守る”ために戦闘する。逡巡しながら一貫している。

2024年9月6日金曜日

録画メモ:ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ

 今日は、二人の友人の猫がそれぞれ13歳、12歳で息を引き取ったという悲しい知らせが。

この映画でも、愛猫との別れの場面があるから辛いわ。

「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」

2024年8月16日金曜日

録画メモ:親愛なる同志たちへ/インフル病みのペトロフ家

 コンチャロフスキーは国外で撮っているときは???作品もあるが、今や今でこその地味な佳作を撮ってくれている。

 ミハルコフでがっかりすることが多いが、お兄ちゃんは健在。

デモ映画・ストライキ映画





録画メモ:SUFFRAGETTE 未来を花束にして

邦題がどうしようもないなあ、というのと、ポスターが現地イギリスと日本で違う(ソフトに改変されている)のとで話題になった。

本国上映時のポスター
サフラジェットカラー(紫)を前面に出して文字にも使用

改変後

紫を消したばかりか丁寧にバッチ(記章)も消して
おそらくふんわりした雰囲気を出そうとしてる
(余計な小細工であろう)

ヒロインは架空の人物だが、左右の二人は実在のサフラジェットの活動家




2024年8月12日月曜日

誰もが戦争に:録画メモ「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」

録画を観た。「フランス国民が皆英雄的に抵抗していたかのような欺瞞」、彼女自身は収容所を生き延びた過去がありそれを「レジスタンスの人すら無視する」ような当時のフランスの空気。そういう戦後をも彼女は生き抜いた。

 息子がイスラエルに渡ってキブツ体験している辺り「パレスチナ人を追い払って得た土地で」と冷めた目で眺めてしまうけどな。息子の恋人?っぽい若い女性が「女性が指導する国はイスラエル以外にあるか?」とシモーヌに語り掛ける。

 彼女の弁舌はさわやかで力強い。しかし人権保障を訴え外国人差別糾弾する諸々の言葉も、ガザやヨルダン川西岸で惨状が続く、ずっとずっと続く現況が露になって、この期に及んでは酷く皮肉に感じられる。だが絶望なんてしない。


 実際には英雄も裏切者も傍観者もいたのがペタン時代のフランス(もしかしたら本当に無自覚で何も知らないで過ごした人もいたのかもしれないが)戦争が終わって「さも皆レジスタンスでしたよ」みたいなフランス。ユダヤ人として収容され抵抗できていなかった彼女はフィアンセ一家との談話に微妙な笑みを浮かべる。 フィアンセは強引に「元レジスタンス」の華やかな宴に連れ出すが彼女が臆するのは元収容所の民であったゆえ英雄的なレジスタンスをしたわけではないと自覚しているから。フィアンセの方は無自覚だし無神経でもある… フランスではさも「皆レジスタンスしてました」が如くの歴史修正だが、日本ではよくよく「戦争に反対することなんてできなかった(自分はできなかった)⇒誰も戦争に反対しなかった、誰もが戦争に協力した」という認識になりがちで、正反対なのが興味深いところですね。 (こういう言説に、母は激怒したものだった。)

 フランスのエリート高等教育機関を卒業しながら、夫の仕事のためにキャリアを断念してせっせと夫を支える苦節??年があった後、「勉強再開する」「弁護士になる」で大反対する夫。笑ってしまうくらいありがちな風景であった。 

 なお、ずっと後になって判明する、彼女の父と兄が送られ、そこで命を絶たれたであろうというリトアニア・カウナス郊外の第九要塞には、1994年8月に訪れた。 調査結果を告げる人によると、そこに着いてすぐに銃殺されていただろうとのこと。 おそらくはこの「ダスヴィダーニャの道」で。 (「ダスヴィダーニャの道」と説明したのはガイドさんで、そのときの彼女の声を今でも覚えている。皮肉なことだと思った、プラシャイ(長きのお別れ)ではなくダスヴィダーニャ(また会う時まで)を使うなんて、銃殺までの道行きなのに、と。)
ダスヴィダーニャの道
第九要塞(カウナス)

※「ミス・マルクス」と同じディスクに録画


2024年7月14日日曜日

嵐の中でささやきに耳を傾けささやきを始める『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』

 彼女の著作を読むのは初めてだが、絵も彼女自身のものなのですね。

展覧会や音楽朗読劇も手掛けている多彩な方なのだ・・・。

各々表紙絵+本文3ページでコンパクトに紹介された、”彼女たち”の生涯、それはそれぞれが抗い、吞み込まれ、生き延び、死んだ”戦争”であった。
『ちくま』及び「webちくま」に連載されたものを土台にしている。
サブタイトルの「嵐の中のささやき」はエスペランチストで反戦反帝国主義者の長谷川テルの著書であるが、彼女とエウサピア・パラディーノ、ヒロシマ・ガールズ(←原爆乙女の英訳である)、「風船爆弾をつくった少女たち」は書き下ろし。
アンネ・フランクと姉のマルゴーという、第二次世界大戦下のナチスの犠牲者に始まり、風船爆弾をつくり(つくらされ)それが6名の死者を出した(日本がアメリカ本土を直接攻撃して出した唯一の死者であった)加害者側の女性達で幕となる、女性たちの戦争の物語は、関東大震災直後に虐殺された伊藤野枝、サフラジェットのエミリー・デイヴィソン、韓国の水曜デモの人たち、ブラック・イズ・ビューティフルを歌う女たちのように不条理への抵抗者ばかりではなく、男性に才能を封印させられ手柄を簒奪される女性達(ロザリンド・フランクリン、クララ・イマーヴァール、ミレヴァ・マリッチ、カミーユ・クローデル、リーゼ・マイトナー)がこれでもかと示され、また満州国皇后だった婉容の無残な最期を取りあげられ、粛清の中で詩を記憶させたアンナ・アフマートヴァ、自ら生を絶った詩人シルヴィア・プラスやヴァージニア・ウルフ、輝かしい栄誉に辿り着くもやっぱり女性ゆえの差別と偏見を身に受けていたアスリッド・リンドグレーンやマリア・スクウォドフスカ=キュリー…どれも痛々しい。
それでも、「ひとりひとりのささやきが、決して無力なんかではないと、…私は信じ、これを記したい。」という著者の思いを私たちも受け止めよう。
なお、メアリー・バーンズ(言わずもがなフリードリヒ・エンゲルスのつれあいである女性労働者)を思わせる高井としを。『女工哀史』の印税がプロレタリア解放運動宣伝パンフレット作成と青山の解放運動無名戦士の墓建立に使われたのものの、生前の著者本人及び遺族に十分に渡ることがなかったと不服であった旨が書かれ、「運動で人間の平等を求め、搾取や抑圧からの解放を謳い上げ、正義と民主主義と反戦平和を高らかに掲げ、…国からの弾圧に、抗い、戦う、男たち」に「金を「管理」される女」という指摘を、あそこに肉親たちを合葬されている「解放運動無名戦士」あるいは治安維持法犠牲者の遺族として真剣に受け止めようと思う。

2024年6月9日日曜日

2024年5月25日土曜日

録画メモ:トリとロキタ

 ダルデンヌ兄弟最新作、早くもWOWOWで放映されていて録画できた。

しかしはやりダルデンヌ作品にはレニエが出て欲しい・・・

2024年5月23日木曜日

録画メモ:青いカフタンの仕立て屋 天国にちがいない

 WOWOWで録画

青いカフタンの仕立て屋


モロッコ、彼女たちの朝

天国にちがいない

録画メモ:コンパートメント№6/EO

 昨年2023年のベスト「コンパートメント№6」

WOWOW5/20録画、残り40分ほど。

                         

ロシアの人はこの時代(1990年代)は貧窮と大混乱で思い出したくないだろうけれど、なんとも懐かしい香りで”古き良き時代”に思えてしまう作品。

観た当時のSNS

インスタ

インスタ2

この監督の「オリ・マキの人生で最も幸せな日」も大好き。

(早稲田松竹で再見したときパンフレットを重複して買ってしまった。)






スコリモフスキ最新作「EO」

WOWOW5/21録画、残り40分ほど。

若々しいよな、このセンス。

ポーランド映画祭での先行上映のときは観られず、一般公開時に観た。


TOBE/ベニスに死す/世界で一番美しい少年

2024年5月12日日曜日

録画メモ もしも建物が話せたら

アップリンクで観たのは字幕版だったが、今般WOWOWで放映されたのは吹替版だった・・・

ワンドリンク付き(モスコーミュールだった?)で心震えながら観たな。




監督について - 映画『もしも建物が話せたら』公式サイト (uplink.co.jp)

6話オムニバス、最初のベルリンフィルハーモニーをはじめだいたい建物が自己紹介するパターンだが、ペテルブルクの国立図書館編は、ゴーゴリ『ネフスキー大通り』やグリーン『真紅の帆』等あの街の文学作品をぼそぼそ読み上げる。(この点、やはり吹替版だと残念。しかもナジェージダを「ナジャージダ」と言ってたような)撮ったのはドイツ人監督(これが遺作となった)だが、こういう破天荒なといか多分に主観的な撮り方、ソ連系のドキュメンタリーのマインドって感じがする。

三番目のノルウェーの重罪犯の刑務所はまた建物の自分語りに戻る。服役者は男性だが、看守は男女とも、身体検査の場面にも女性看守がいるのは敢えてそこまでする必要あるのかなあと複雑な気持ちになったものだ。

劇場で観た時もここでいったん休憩が入って、後半へ。後で考えてみて、前半の3作がおもしろくて、後半になるとちょっとだれた。だんだん同じような調子に思えてきたのだ。

4番目のレッドフォード監督の生物学研究所のは、友人がやや酷評していたんだけど、再見してみて、これは主語が建物になっていない場面が結構多かったので「看板に偽りあり」と言ってもよかったのかも、そういった部分が彼女は気に入らなかったのかな。割と普通のドキュメンタリーだった。

5番目のオペラハウスのが、ベルリンフィルのと傾向が似ていて、観るのにもちょっと疲れてきていたが、再見するとこっちはバレエの場面も多くて実はそれなりに楽しめた。

そして最後がポンピドゥーセンター。監督はブラジルの人だったか。


ツイッターでこんなやり取りもしていた。

(1) Xユーザーのグリゴリャン・アナイートさん: 「@KocmocKocma 「もしも建物が話せたら」というドキュメンタリーがありますね!知りませんでした。教えてくださってどうもありがとうございます✨ https://t.co/aq6RHgU71C」 / X (twitter.com)






2024年5月1日水曜日

中世ネコのくらし 装飾写本でたどる

中世の人たち、もちろん我らとは感性がまるで違うので、描かれた猫たちの造形はだいたいにおいて化け猫風で可愛くはない。でも可愛い!

2024年4月7日日曜日

音高き『ザボンよ、たわわに実れ』を読んでいる

 

祖父も民主医療に戦中戦後関わっていたので彼女と接点があったのかもしれないと思って読み進めていたら、第2章の終わりに唐突に祖父の文章の引用が登場した。

エスペラント運動(だけでなくすべての社会変革運動)について、凧あげを比喩にして記している。

2024年4月6日土曜日

祖父が「プロレタリア文学者」という認識がなかったから驚いた

 

祖父の文章が載っていると知人に教わって、図書館から借りてきた。
巻末に「著作権の存続する収録作品は、著作権継承者の方より許諾をいただいております。」と書いてあるけど、許諾どころか連絡ありませんでしたけど!
どういうこと?
→出版社から連絡ありました。著作権料はきちんと払っていただきました。(単純な誤解でした。)

 

 

我特攻を”希望せず” 八塩先生の半生記

 


大学時代にバイト先弁護士からいただいた本。
その弁護士は外国人指紋押捺事件で八塩弁護士と一緒だったのではなかったかな。

八塩先生は少年院教官を長く勤められた後に弁護士となって少年事件を担当されていた。
かなり分厚いが、この本は戦中の特攻隊での話から戦後の種々の職業経験が語られ、少年院教官試験に合格するまでの半生。
教官時代・弁護士時代の後半生はまた別の著作で・・・。