2014年4月18日金曜日

明日のネコ歩きが

実家からTVがやって来て、久しぶりにTVのある生活をする、つもりだった。

今まで見たい番組は実家に赴いて録画予約をし、DVDにダビングして、自宅のPCで観るという面倒なことをしていたのが楽になる。
と思ったら、ケーブルテレビの作業員のお兄さんが設定して行ったのが、何か間違っているのか、録画予約ができず、悲しかった。
(作動はするが、ただ黒い画面が録れているだけだ。)

明日の朝のネコ歩きもだめなのか。
悲しい。

あと、これも不思議なことに、DVD-Rのファイナライズもできない。
あのお兄さんは何をしていったのだろう?

まあ、たかがTVだ。
今までなくても生きていた。
だからどうってことない、と思うべきなのだろう。
でも、ワールドカップは観るつもりでいた。
ネットではなくて。
映像はTVで観て、ネットでロシア語の音声を聞くつもり。
その目算が外れると、痛い。

2014年4月15日火曜日

悲しみの25節

うわあ、ヴォルガが。
0-5でディナモに負けている。
カリャカはヴォルガの前にはディナモにいたのだけれど、完璧にやられているわ。
直近上位のトミとの差も3に開いて、危ない。

オデッサや、カリャカの故郷のドニエプロペトロフスクでも、«アンチマイダン»の動きが活発化しているようだ。
行政機関の占拠まではしていないようだが。

襲撃→占拠をしているのはより東部のドネツク周辺の都市のようで、オデッサあたりは広場に集まる、デモをするといった行動をしている。

彼らが掲げる旗は、「ドネツク人民共和国」のもの、その地方の旗?、ソ連国旗、聖ゲオルギーなにやらのロシア帝国のものなど雑多なもので、仮に願い通りにウクライナから分離したとして、一緒にやっていくのは難しいだろうなあ。

チェルノモーレツには、現在ロシア国籍の選手はいなかったはず。
それにロシアのリーグでプレイする選手でも、オデッサ出身だったり、チェルノモーレツ出身だったりの選手はあまりいなかったように思う。
ロシアリーグでプレイするウクライナ人はちらほらいるが、ウクライナでプレイするロシア国籍の選手はかなり少ない。
それでもウクライナに縁がある選手は多いはずで、彼らの心境がいかばかりかと思うとほんとうに心が痛む。

2014年4月13日日曜日

東京大学出版会の猫についての本

東京大学出版会から『ヒトとともに生きる動物たち アニマルサイエンス』という全5冊の本が刊行されている。
いずれも『○○の動物学』というタイトル。

①ウマの動物学
②ウシの動物学
③イヌの動物学
④ブタの動物学
⑤ニワトリの動物学

«ヒトとともに生きる»というのは、愛玩動物というより、家畜のことを意味するらしく(③のイヌは家畜とは言わないかもしれないが、「人のために働く動物」ではある)、5冊の中にネコは入っていなかった。

が。

このシリーズのラインナップではないが、このたび『ネコの動物学』が刊行された。
でも、上記のシリーズが3200~3400円であるのに対し、この本は2600円(本体価格)なので、おそらくより一般向けに書かれたのだと思う。
東京大学出版会の書籍は、一冊読むとそれなりに知識が得られた、賢くなったような気にさせられる、一種知的満足感が得られる。
(誤植が多かったにせよ『ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで』とか。)
なので、この本についても、ネコに関してちょっとした知識やより体系的な理解を得ることができるのではないかと期待して手に取ったのだった。

しかし、感想としては、お値段相応のライトな読み応えといったところ。
最初の方は猛猫や猫の写真が、モノクロながらふんだんにあって、素敵。
性格と毛色の関係などは、一般的には関心の高いことだろうか。
実験と通説は概ね一致したようだ。

芸術作品に登場するネコの紹介については、全く網羅的でなく、中途半端な印象を受けるが、まあしかたないかな。
挙げていったらキリがないもの。

 
(例:エルミタージュ所蔵のネコを題材にした作品集)
 
 
また、現代では愛玩が主目的となっているネコであるが、本来の害獣駆除の働きについて、特にエルミタージュの約50匹のネコたちの活躍が挙げられている(83ページ)。
これについても、私は繰り返し書いているが、美術館・博物館・図書館その他官庁も含め公的な場所で働くネコは、決してエルミタージュだけではないと思う。
(去年の秋に話題になったノヴォロシイスクの児童図書館員猫のクージャは元気だろうか?)
 
 
それと、「ネコは芸ができる」という項目では、ククラチョフ猫劇場が紹介されている。
(ククラチョフさんは昨日お誕生日だった由。)
ネコは芸ができなくても単に可愛いだけでポイントになる、というか、おとなしくじっとしているだけでもかなりお利口だと思いますわ。
 
読み終ってみて、どんな読者層を狙って書かれたのかはやや疑問を持った。
ネコの飼い主向けのガイドブックではないし、ネコについてのアラカルトとしては物足りないし、動物学の専門書としては勿論欠けが多いだろう。
でも、一冊さっと読みとおせるように、平易に書かれているのはよかった。
 
過剰なスキンシップはよくないという、もっともな注意書きもあったが、一緒に布団の中に入るのもいけなかったのか。
毎晩やっていたわ。
(でも、そのうち温まるとふとんの中からふとんの上に移動するけどね。)

2014年4月6日日曜日

イーゴリ公の夢

ネトレプコ出演の「エヴゲニー・オネーギン」、アヴァンギャルドなアニメーションを駆使した「鼻」、幻想的になりきれていない「ルサルカ」と、METライブビューイングを観てきたが、遂に新演出(METでは100ぶ年ぶりだという)「イーゴリ公」を鑑賞してきた。

どうもこの歌劇団の演出には違和感を覚えてしまうのだが、それも今回が最高潮に達する。
ここ、オペラの歌の技量はあるのだろうが、バレエがね、ということなのかもしれない。
「イーゴリ公」と言えば、「ポロヴェッツ人の踊り」が有名で見せ場。
しかし、その場面がちっとも沸かないのだ。
逆にさーっと退いてしまう。
残念ながら血沸き肉躍るとはならない。
歌は上手いのだが…。
あと、コンチャーコヴナ役のラチヴェリシュヴィリはミス・キャストだな。
あまりに恰幅がよすぎるよ。
(来季はカルメンを演じるそうで、それは合っていそう。)
悪役ガリツキーらの酒宴場面も「もっと盛り上げてくれ~~~!!!」でしたね。

新演出を全否定する気はない。
12世紀ロシアではなく、いと不思議な衣装(長いコートに銃を捧げる兵隊たち、「スペードの女王」のゲルマンみたいな服を着たガリツキー、古代ギリシャ風?の白い衣装をぼてぼての肉体にまとっているラチヴェリシュヴィリ、まるでレーニンか!という剃った頭できっちり軍服をきこなすコンチャク汗)も許そうか。
でも、兵隊たちの着こなしチェックをしている割には、イーゴリ公、自分がファー付きの皮の短コートの前をはだけて着崩しているのって、これから戦いに出掛けようとしている軍の司令官としてどうなのよ、って気がしてならなかった。
というわけで、前半はなかなか登場人物たちの心象に迫れないでいた。

後半の、というか、最終盤の荒廃した公の故郷プチヴリで、民衆はこの戦争の最高責任者でもあるイーゴリを熱狂的に迎えて「彼が帰って来てくださったからにはもう大丈夫」的なハッピーエンドになりそうなところで、この主人公、暗い面持ちのまま、もしかして発狂してしまうのか?などと訝っていると、若干メッセージ性のありげなラストであった。
まあ、これから大変だろうけど、頑張ってね、と声をかけたくなる。

ニューヨークでばりばりのロシア語オペラを取り上げるのはとても意味があることだろうが、ロシアオペラの香りはかなり抑えられ、かといってまったくの現代風の演出に徹したわけでもなく、上級者向けのバリエーションであったように感じる。

好みで言うと、やはり最近BSプレミアムで放映していたボリショイオペラの「イーゴリ公」の方が安心して観ていられた。
ポロヴェッツ人のところでは歌いだしたくなるしね。

イーゴリ公を演じたのはイリダル・アブドラザコフという、いかにもタタールっぽい名前の、ウファ歌劇場出身の歌手。
ウファでは「イーゴリ公」でイーゴリのおつき役をやり、METでは「ホバンシチナ」に出演したことがあり、いつか「ボリス・ゴドゥノフ」のタイトルロールをやりたいと、幕間のインタビューで語っていた。
彼の夢が叶いますように。(来季のプログラムは既に発表済みだが、「ボリス」はなかった。)

難問

おお、EUフィルムデーズ2014とソヴィエト映画クラッシクス、日程が被っているという大問題が発生。
去年初冬のポーランド映画祭とスウェーデン映画祭が重なったときみたいだ。
あのときは上映会場がユーロとイメージフォーラムと両方渋谷だったが(15~20分くらいかかる)、今回のEUとソヴィエトのはしごは難しい。京橋と渋谷だからなあ。

ソヴィエト映画クラシックスの作品は別の機会があるだろうか、あるかもしれない。
(この上映会自体、去年神戸でやっていたものの巡回ではないだろうか。)
EUフィルムデーズの方は、その後一般公開というのはなかなか難しいようだ。
「カラマーゾフ兄弟」(チェコ)のような傑作でもあれっきりのようだし。

それにしても、ソ連時代の作品の回顧上映はこうしてたびたびあるけれど、90年以降のロシアになってからのレトロスペクティヴとか、あるいはごく最近のロシアでヒットしたロシア映画とか、そういうのの特集上映がないのはとても寂しい。
大型連休中に毎年やるイタリア映画祭や、横浜を基盤にしているフランス映画祭のように、きっちり最新作を売りこむ国々が羨ましい。
(最近のドイツは息切れか?)
ロシアフェスティバルでもシャフナザーロフ(彼はモスフィルムのトップなのでできたのだと思われ)以外に誰か最新作の上映をやりましたっけ?
びっくりするほどいつもいつも旧作上映で「映画祭」と銘打ってしまうのだ、ロシアは。
私は新しい作品が観たい(できれば戦争映画以外で)。

イメージフォーラム・フェスティバルではゲルマンの遺作「神様はつらい」をやるのか。
去年はバラバノフを2本観て、相変わらずいっちゃってるな、と呆れつつも「私は幸せになりたい」では今まで大反発を感じていた彼の作風の中にも微かに訴えたかったがなんであるかの片鱗がつかめたかのような気がして、初めて次回作が楽しみと言えそうだったのに、突然訃報を聞いて驚いたのだった。
ゲルマンの遺作も観るのはやはりちょっと勇気がいりそうだ。
(頭痛がした「フルスタリョフ、車を」の路線だという噂を洩れ聞く。)

意味を求める

友人が亡くなって1年、今日は教会で記念会があった。

彼の短い生涯のその後半はまさに病との闘いだったが、決して愚痴を言わず、恨みごとも言わず、淡々と生きていたのが、今でも強い印象を残している。

教会の人たちって意外と人間関係が難しくてあちこちで陰口…みたいなものも飛び交うもので、そしてなぜだか彼の前では人は皆一種無防備になって本音を言ってしまうことがあるらしく、何か不思議な癒しの力が彼にはあるのだろうか、実は彼は教会の人たちの噂話の集積所になっていた感がある。(他人の目を気にしない性質の私は噂にもおそろしく無頓着で疎かったが。)

昨年イースターの前日、彼を天に送る礼拝で、随分涙を流した。
翌日のイースター礼拝でも泣いていた。
今日のこの日もまだまだ辛い。
あの前にもあの後にも、身を切られるような辛い思いを味わって、去年は全くヨブ記のような体験をすることになったのだった。

彼の辛い、でも敢えて言うが豊かで実り多かった生涯をともに語り合える友人たちと、今日ひととき話しあえたのはよかった。
繰り返しになるが、まだまだその先にも悲しいことがあったから。
酒井啓子先生が新聞に書いていたことだと思うが、残された者たちはどうにかしてその人の人生が意味あるものだったと納得したく、それによって悲しみから、喪失感から立ち直りのきっかけを得るのだ。

やや安易な方法ではあるが、その後渋谷に行ってカウリスマキを観た。
大好きな「トータルバラライカショー」を観た。
何度観てもやはり好きだ。

2014年4月4日金曜日

三たび、上司の勧めで

シネマヴェーラで「帝国オーケストラ」を観る。

何年も前に上司が観て感動したと言って、プログラムも見せていただいた。
ベルリンオーケストラがいかにナチスと結びついていたか、しかし当時の団員にはそんな自覚はなかったり、実はややあったりで、あれです、現代書館の『ナチス第三帝国とサッカー』みたいな感じね。
戦後、ナチス政権下で禁じられていた曲を披露した、というから、まずはメンデルスゾーンとは誰しも思うが、もう一曲はチャイコフスキーだったのだと。
まあ、そうかな。
«チャイコフスキーがなぜか好き»な私には、やっぱりファシズムのもとではそれだけで暮らしたくない理由になる。
但し、それには自覚的に「私はチャイコフスキーが聴きたいのに、なぜ禁止しようとするの?!」と、時流に流されずに主張して行かなければいけない。
チャイコフスキーがだめならリムスキー=コルサコフを聴いて凌ごう、なんて考えていてはいけないのだ、きっと。

「僕の村は戦場だった」との二本立て。
タルコフスキーの初期傑作は勿論よかった。
ブルリャーエフ、可愛かった。
マーシャの態度は今観ると不思議だ。
好きな映画かというと、「誓いの休暇」や「私は二十歳」や「モスクワを歩く」に対して抱く親愛の情があるわけではないが、いい映画だ。何度見直してもいい。