2013年1月27日日曜日

ロシア帝国総督の条件

西部(ポーランド分割で得た地域とバルト地域)とカフカースの総督:もてる男
シベリアと中央アジアの総督:オタク系

ロシア帝国の総督は、18世紀には内地にも置かれたが、19世紀前半には「辺境」統治に特化される。
西部には先行する国家・法秩序・エリート集団が存在するところだったので、当地の貴族女性と交流し、あわよくば情報を得たり…なんてこともあるので、そこの総督はモテる男性である必要もあったのだ。
(ポチョムキンはこちらに属する。)
シベリアの方は女性にもてる必要は全くない。地理学者的、また無の状態から経済の諸条件を整えマネージメントするという激務をこなす人でなければならなかった。一方でマニアっぽい濃い趣味をもっていた。

オレンブルグという町
キーワードはプガチョフ、『大尉の娘』、オレンブルグ・コサック等。
かつては総督が置かれ、カザフ・キルギスへの前哨基地であり(首都だったこともあった)、交易の中心地だったが、ロシア帝国がどんどん東へと前進し、西シベリア自体は「内地」化したため、総督は廃止され、普通の県になった…はずだけれど、完全に内地化したかというと、そうでもなくてグレーゾーンとなった。
それまでカザンが担ってきた役割をとってかわろうとしたが、大学・神学校などがなく人的資源が乏しく、それにも失敗。

以上は、今日拝聴した、「もっと知ろう、もっと北の国Ⅰ 帝政ロシアの実像」のメモ書きから。
講師は越野剛先生と松里公孝先生。

オレンブルグって、意外とすごく「辺境」だったのね。
サッカークラブはというと・・・
ガゾヴィク・オレンブルグは現在2部リーグのウラル沿ヴォルガ地区所属。
(2011~2012シーズンは一部リーグだったが、16位で二部に降格した。)
ユーリー・ショーミンさんの出身地であったか。

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