最近読みかけた本で、「これは読み進められそうにないな」と感じたもの
*『馬鹿たちの学校』
*『昼の家、夜の家』
これらに比べると、ゴンチャロフはいいですね。
長いけど、そして今風の小説とは肌合いが随分違っているけれど、これは十分許容範囲。
『平凡物語』も『断崖』も、いつかは読了できるでしょう。
『オブローモフ』も、読み返してみると、新たな発見ができるのではないか、という期待が。
(ずっと昔に読んだときには、オブローモフを、在原業平かなんかのように薄幸の貴公子風に思い描いていたのが、ただごろごろしている怠け者じゃないかと、少々がっかりしたものであった。)
先日さらっと感想を書いたペレーヴィンの『寝台特急 黄色い矢』も、読み難いことは全然なかった(訳がいいのだろう!)。
私はアンチ・ペレーヴィンなのだと意識はしていなかったのだけど、事実そうなのでしょう。
『恐怖の兜』は、読み終わってすごくがっかりしたのですが、それだけではこの作品が性に合わなかったのか、そもそもペレーヴィンが合わないのか、定かではなかったので、ともかく『黄色い矢』は読んでみることにして、手に取ったわけです。
で、読み終わって、やはり「読んでよかった」と思えるものではなく、ソローキンと並んでペレーヴィンはこれから食指が動かない作家ということになろうと感じたのでした。
あんまり<苦手>なものは作らないようにと思っているけれど、なぜ受け付けないものがあるのかというと、まさに「グロテスク」で「悪趣味」と感じるからだと思います。
ヤン・シュヴァンクマイエルやイジー・バルタが苦手なのと似ています。
それに、国民性(民族性)やジェンダーに関しては、驚くほど型にはまっていて、悪い意味で「大衆的」。
でもこれ(ペレーヴィンの作風)が、90年代のロシアの現実だったのかもしれません。
羽振りが良くなった2000年代以降のロシアとは違うのだ、きっと。
だけど、『オモン・ラー』はがんばって読んでみようと思います。
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