2014年3月22日土曜日

再び上司のおすすめ

裁判官ってそもそもどうしてあんな判決を書くわけ?
としばしば思う。
そういうわけで、裁判官というのはいったいどういう人なの?と時々思う。
(普段は全く別世界の人だと思っているので、関心を持たず。)

卒業式のシーズンと言うと思い出す。

高校生の時、1学年上に大変尊敬していた人がいた。
校内新聞の編集をしていて、書くことがとても「頭いい!」「かっこいい!」という感じで、憧れていた…のは、勿論私だけではなく、早い話下級生の憧れの的だったわけだ、彼は。

卒業後も何かと口実を作ってしばしば会ってお話しする機会を作っていた。
彼も私も法学部法律学科に進んだ(大学は別!あちらは司法試験御三家、こちらはどちらかというと公務員コース?)。
大学で彼は自治会の役員をやりながら、弁護士を目指していた(それを公言していた)。

まだ彼が司法試験に合格する前だったが、私は彼に「なぜ弁護士になろうとしているのですか?」と聞いた。
私の問いは「学者とかジャーナリストとかではなくてなぜ法曹を目指すのか」という趣旨だったのだ(彼の論説のさわやかな切れ味はジャーナリストというイメージではないかと漠然と勝手に思っていた。)が、彼の答えはこうだった。
「私には人を裁くことはできないから裁判官にはなれない。同じ理由で検察官にもなれない。だから弁護士になる。」
それは私の期待した答えではなかった。が、それ以上は尋ねなかった。

この話は以前にも書いたことがあったのではないか。
裁判官になんてなるものではない、みたいな意識は在野の法曹にはある程度共通してあるのだろうか?

ひょんなことから、『日本国憲法と裁判官』を読んでみて、とてもおもしろかった。
裁判官というのはいったいどういう人なの?という問いに、ある程度答えているのではないか。
まあ、この本を執筆しているような(元)裁判官は勿論マイノリティーなんだろうけど。

その意味で、今読んでいる『「無罪」を見抜く』も、元裁判官の自伝的な本(聞き書き)であり、特にどうして冤罪がいくつも生じてしまうのか、裁判官が見抜けないのかという疑問に誠実に応答するものになっている。

この本は職場の上司のお薦め。

もう一人、別の上司が、このあいだお茶の時間に勧めてくださったのは、
『永続敗戦論 戦後日本の核心』

以前に『そこに僕らは居合わせた 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶』を勧めていただいた。
(まだ書きかけ)




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