2013年3月3日日曜日

作家とサッカー5 ヤロスラフ・ハシェクその2

 それはそれとして、ぼくは信心が足りないことがどういう結果になるか、というもう一つのケースを知っている。
 ブベネチュのサッカーチームがヴルショヴィツェのサッカーチームと試合をした。ブベネチュの左翼がヴルショヴィツェのゴール目がけてボールをシュートした。するとヴルショヴィツェのゴールキーパーはそのボールを逸した。ボールがゴールを突破するのを見た瞬間、彼は「イエス様マリア様」と叫んだのである。そのさまを観ていた観客の一人は、当然ながら興奮を抑えきれず、「この野郎、神様のことを思うなら、もっと早く祈ればいいのに!」と怒鳴ったのである。

第89章 プラハからの手紙 より

固いことを言うと、メソジストの私からすると、こういうファンのような「信心」は到底受け入れられない。
教会学校ではかなり小さい頃から「明日は遠足だから晴れにしてください」とか「運動会で一等賞にしてください」とかいう類のお祈りはしてはいけませんよ、と教えられる。
もう少し大きくなるとキリスト教はご利益宗教じゃありませんからね、と当たり前のように言われる。
だから、自分が利することで他者が傷ついたり不利になったりするようなお祈りは厳禁だということは染みついていた。
ロシアに戦勝記念の教会があるのを観て面食らったものだ。

でも、告白する。2002年のワールドカップグループリーグ第3戦で、ロシアは勝てば突破できた。
しかしベルギーに先制点を奪われてしまう。
「神様、勝たせて」と思った。
やっぱりあんなこと祈ってはいけなかった。

チェコ語・エスペラントの大家栗栖継さんの最後の訳書。
栗栖さんは世代的に考えて、サッカーには思い入れはあんまりなかったのだろうな、と思わせる。

ヤロスラフ・ハシェク『プラハ冗談党レポート 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史 』栗栖継訳

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