2013年3月20日水曜日

宝箱を開ける

今頃になって「アジア映画劇場」など昔のVHSテープをDVDに録り直しているわけです。
母が「紅いコーリャン」に関心を示したことから、まずは中国・香港・台湾の作品から手をつけました。

「さらば、わが愛~覇王別姫」
「ラヴソング」
「哀戀花火」
「北京好日」
「恋恋風塵」
「悲情城市」

「變臉 この櫂に手をそえて」
「べにおしろい 紅粉」
この2本(とトルコ映画一つ)のVHSは悲惨で、音声が死んでいた。

最近、中国や韓国の映画を観てなかった。
それと並行するように、かの国々への親近感が低くなり、どちらかというと無関心に近くなっていた。
そんな気がします。
いや、更に言うと、昨年よく使う某官庁のサイトが何者かに乗っ取られた揚句、数週間にわたって使い物にならない状態になって、仕事上かなり迷惑したので、同僚は「○○め!」と愚痴を言ったりしていて、「いや、まだそうと決まったわけじゃないから、一応«無罪の推定»にしとかなきゃ」と私は言うのだが、自分でもそれを本気にしていない。
○○方面の仕業だろうと推察していますが。

しかし、ちょっと昔の映画の映像をちらっと観るだけで、疎遠だった知人からクリスマスカードをいただいたような、懐かしくてしみじみした気持ちになります。

でも、少々中国語文化圏の作品に飽いたので、というよりも、タイトルを目にするたびに早く観たいと心が逸ってくるので、遂にイラン映画にとりかかりました。

「運動靴と赤い金魚」
「クローズ・アップ」
「友だちのうちはどこ?」
「オリーブの林をぬけて」
「サラ」
「かさぶた」
「南から来た少年」

そうすると、今度はDVDに飽き足らず、下高井戸まで「駆ける少年」を観に出掛けました。

「駆ける少年」、ユーロスペース(移転前、そして改装前)でのイラン映画祭で観て以来だから、17年ぶりになる!
イラン映画祭は、それまでのユーロでは考えられないくらいの大混雑で、「駆ける少年」は最初立ち見でした(途中から座れた。前方の観辛い席だったが)。
だから、印象は強烈だったけれど、内容はかなり忘れていました。
ナデリ監督については、この「駆ける少年」が凄くよかったのに、そのあとアメリカに渡ってからの作品は全然私の趣味ではなくて、「CUT」なども観る気もしないでいるのですが、この「駆ける少年」はやっぱりいいなあ。
イラン映画の基本。
「友だちのうちはどこ?」や「僕は歩いていく」など、キアロスタミやジャリリの作品も、これと同じように子どもが可愛くて逞しくて、よく走り、でも若干やっていることが意味不明で。
とくにこの作品は子どもがたくさん出ているけれど、後のこれぞイラン映画!の作品群に出てくるような美少年が不思議といないけど、それでも«いい顔»しているし。
最近のイラン映画は都会の中流家庭の話が多いので、こういうストリートチルドレンが素敵な笑顔を見せている映画は懐かしい。

家に帰ってから探してみたら、割とすぐ出てきました。
’96・イラン映画祭のプログラム、チラシ、チケット半券。
このとき、私は「駆ける少年」と「牛」を観たのでした。
(チラシには「行商人」に○がついていて、行く予定だったみたいだけど、観た覚えはない。)
このとき、「サラ」も上映していたんですね。
実に充実したプログラムだと今にして思うもので、もっと観ておけばよかったと軽く後悔の念も起こっているけれど、ともかくこのとき魅惑のイラン映画を体感できたのは人生の幸福の一つだったと言いきれる。

今回、なぜか「駆ける少年」の一般公開とあいなったのだけれど、昔観たから無理に観に行かなくてもいいかしら、とオードトリウムでやっているときは思っていた。
でも、やっぱり観に行きたくなってしまったんだね。
それで今日遂に、下高井戸に。
96年の時は映画祭のパンフレットだった。
今回は単独のパンフレットができていた。

イラン・イラク戦争の最中に、イラン国内のいろいろな場所で撮影した作品なのだ、ということが、今回のパンフレットを読んでわかりました。
子役の子たちの情報はあまり書かれていなくて、たぶん映画のようにストリートチルドレンではなくてちゃんと親はいる、ということくらいしかわからない。

まだしばらく、イラン映画録り直しを続けるつもり。

イラン映画関連のいろいろを入れてあった引き出しには、私が最初に観たイラン映画(もちろん「友だちのうちはどこ?」だ)のチラシや半券、それになんとペルシャ語のたぶんイラン人向けのチラシがとってあったのでした。
そうそう、あの頃、ユーロなんかでは、「イラン人割引」(後の「午後の五時」や「少女の髪どめ」などでは「アフガニスタン人割引」も)があったんですよね。
だって、キアロスタミの作品の上映の時は、西アジアって感じの男性たちが前の方の席にずらっと占拠していて、とっても嬉しそうに観ていたものなんですよ。
(日本人の観客と違ってちょっと騒がしく鑑賞する。)
まだ街中にイランの人が結構いた頃で、それでも日本でペルシャ語の映画を観ることができて、彼らは嬉しかったのだと思うと、ちょっと騒いでいても許されるような、むしろ微笑ましく思ったものでした。

ミハルコフやソクーロフの作品の上映の時、別にロシア人割引とかなかったし、カウリスマキの映画でフィンランド人割引もないし、ワイダやキエシロフスキでポーランド人割引もなかったんだけど。
「不思議惑星キン・ザ・ザ」のときは、クー!すると割引、ではなくて、特製バッジがもらえた。

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