2010年10月3日日曜日

『卵をめぐる祖父の戦争』をめぐるよしなしごと

ハヤカワ・ミステリの新刊(20108月刊)で、1942年レニングラード包囲のときのものがある、と知って、しかもわりと評判もよさそうということで読んでみた、デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』

春に読んだ扶桑社ロマンスの『青銅の騎士』は、やはりレニングラード封鎖から始まるのですが、4分冊と長い割にはすごくがっかりな話だったのです。
(読むと損する!というレベル)。
レニングラード包囲戦は意外とアメリカ人に好まれる題材なのでしょうか。

ベニオフの方はまあまあおもしろかったです。
主人公レフの相棒の文学青年コーリャの造詣が素敵です。
『青銅の騎士』が、ヒロインやその相手が「いい人」で「スーパーマン」的で鼻白むものがあったのですが、レフとコーリャは決して超人的でなく、魅力的です。
まあ、最後の方はまとめを急ぎ過ぎている印象を受けましたけど。
少々ご都合主義っぽく。

でも、訳者がドストエフスキーやトルストイを読んでいたなら、「ナターシャ・ロストフ」とか「ヘイマーケット」とか書かないのでは?といらいら。

ソ連からフランスに移住したフランス人の伝記『ライサという名の妻』の中に
「わたしたちがロストフ・シュール・ル・ドンから来たのだ、と、わたしは母から知った」
という、文体からしていかにも翻訳調というのはともかく、まるでロアール河畔にでもありそうなこの地名は何なの?と絶句したくなることもあったものでしたが、この本での「ヘイマーケット」は、それ以上にがっかりな感じ。
(ロシアプレミアリーグ現在5位ロストフ・ロストフ=ナ=ドヌの本拠地、ロストフ・ナ・ドヌ(ドン川河畔のロストフ)をフランス語に訳してしまったものです。)
その昔、クッツェーがまだノーベル文学賞をとる前、『ペテルブルグの文豪』の和訳が出て時に、毎日新聞の書評欄に沼野充義先生が「ドストエフスキー所縁の地であるセンナヤ広場をヘイマーケットなんて書いてあると感じが出ない」と書かれていましたが、この本でも直接ドストエフスキーに関係するわけではないのですが、相棒はかなりの文学青年ですし、いかにもドストエフスキーが出てきそうな雰囲気を醸し出してほしいものです。

あと、ヘイマーケットという地名は、実際にシカゴにあって、こちらも結構有名だったのですね。アメリカ最初のメーデーが、ということは世界最初のメーデーが行われた18865月に「ヘイマーケット事件」が起きた場所。
(と、労働法の講義で絶対習ったはずだけど、記憶していませんでした。)
メーデーも、国際女性の日も、アメリカ起源なのでした。

この小説の中の「干草の広場」が、英訳されたもので表記されていようと、シカゴの地名と混同するということはよもやないだろうけど、それでもやっぱり紛らわしいでしょ!

細かいことを挙げていくと、
*61頁に「ペトロ・ハヴロフスク要塞」が2箇所。
「ペトロヴロフスク要塞」の、単なる誤植だと思われる。合成語なので「・」は不要かと。
*「コサック人」
 コサックに「人」は普通付けないよね~。
*「ウシャコヴォ」
 相棒のコーリャが卒業論文のテーマにしたという人物、というが…。
 これは訳者ではなく、原作者の問題である可能性もあるが、「オ」で終わる人名はウクライナ系ではありうる(オノプコとかサチコとか)。
 しかし正に「男性名詞から派生した物主形容詞」の形はロシア的な姓のタイプ。
 でもその「中性形」が姓になるってあるのだろうか?
 地名ではウシャコヴォというのはあるらしい(カリーニングラード州の町(Ушаково)。旧称はブランデンブルク)。
 男性形のウシャコフだと、提督名、それにちなんだ戦艦名があるようです。

それと、ショスタコーヴィチの疎開先のクィビシェフの注が「アルメニア北部の観光地」となっていたのも驚きました。
アルメニアにもクィビシェフという地名がある、またはあったのでしょうか?
でも、ショスタコーヴィチが疎開したのは、ロシアプレミアリーグにて青息吐息で残留争いをしているクルィリヤ=ソヴェートフの本拠地、サマラ(1990年までクィビシェフ)です!
この地であの交響曲第7番『レニングラード』が世界初演されたことも忘れてはなりません。

クルィリヤは昨日の試合では、3点先制しながら終盤に続けざまに2失点。
2点差で勝てたのなら、アムカルを抜いて14位浮上で降格圏脱出だったのに!!!
巻さんよりやっぱりクルィリヤの味方なのだ、私は。

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