年齢がばれてしまうかもしれないが、その曲、私は「花の季節」で習った。
いや、今教科書を広げてみて、何の書き込みもないところをみると、授業ではやらなかったのかもしれない。
でも、私はリコーダーを吹くのが好きだったので、授業でやらなかった曲も、教科書に載っていたのは全部自分なりに吹いていた。
だから、曲も覚えていたし、歌詞も何となく記憶に残っていた。
♪遠い野道をただ 馬車は過ぎてゆく♪
2/2拍子のアダージョから始まり、
♪とーきーはー♪
の後で2/4拍子に変わり、テンポもアレグレットに。
♪めーぐり まちのそーらに ひかりあーふれるあさに♪
教科書には「ジプシー民謡」と書いてあり、ルーマー・ゴッテンの『ディダコイ』で読んだような、ジプシー(と当時は言っていた)の馬車が田舎道を通って行き、やがて饗宴を広げる様を想像していた。
ずっと後になって、このメロディーを聞き、
「ロシアの曲なんだよ」
と言われた時には、そうなのか、と思っただけだった。
「長い道を」という題名で、歌詞は教科書で習ったのとだいぶ違っていた。
「悲しき天使」というタイトルやその歌詞やその作詞者・歌手については全然知らなかった。
実は結構好きな曲で、iPodに入れて、毎日のように聴いている。
ロシア・ソヴィエト映画祭の会場で買った「ロシア民謡ベストアルバム」というCDのトリの曲なのだ。
歌っているのはニコライ・ニキツキー。
(勿論ロシア語です。)
このCDの解説・対訳は伊東一郎先生で、
「フォーミン作曲、ポドレフスキー詞のジプシー歌謡風の曲で、おそらく1920年代の作曲と思われます。」
と書かれている。
土曜日に、ユーラシア・サロンで山之内重美さんからいただいた資料によれば、この「長い道」の作年は「1917年」となっている。
ユーラシア・サロンのあった16日(土)の朝日新聞の「うたの旅人」で、この曲が「悲しき天使」のタイトルで取り上げられており(私としては最も馴染みのない名前で書かれているのが大いに遺憾であるのだが)、ここでは作年は「1920年代」としている。
フォーミンは1900年生まれなので、1917年の作曲だとすると、17歳。
ちょっと若いな~という気はする。
若書きしたっていうより、なんか老練な、過ぎし日の青春を振り返る、歌詞と曲調だから、17歳でこんないい曲作るなよ、という感じがしてしまう。
しかし、あの革命初期の頃って、みんな恐ろしく早熟で、いわゆるロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちは揃って若気の至りで、とんでもないことをしまくっていたのだから、まあ天才なんてそんなものだと言えばそれまでだ。
この曲に関して言えば、作詞・作曲が誰だったのかはわかっているけれど、年代をはっきり特定するまでには至っていない(まだ少し幅がある)、ということなのだ。
「ロシア民謡ベストアルバム」、これはロシア製ながら、珍しく歌詞カード(ロシア語の)なんかが入っている。
それには英語表記のタイトル・作詞者名・作曲者名・歌手名も書かれている。
1990年代後半のものだと思うが、その時点では、
*「カリンカ」
*「前髪」
*「トロイカ」
*「ヴォルガの舟歌」
が「Russian Folk」ということのなっている。
でも、山之内重美さんの資料によれば、
*「カリンカ」は作年が1860年、イワン・ラリオーノフ作詞・作曲
*「トロイカ」は作年が1901年、作詞・作曲は不詳(新聞紙上に引用されている)
となっています。
いろいろな理由から(ロシア・日本双方の事情もあり)、これまではあまり作詞・作曲が誰なのか注意がはらわれず、研究も進まなかったらしい。
が、最近は新しくわかってきていることもたくさんあるようだ。
民謡だと思っていた「カリンカ」に作詞・作曲者がいると知って驚きだった。
『トロイカから私を呼んでまで 続・ロシア愛唱歌集』掲載のものでは、「満州の丘に立ちて」は、私の愛するクルィリヤのホーム、サマーラで作曲・発表されたものだということ、「アムール河の波」の作曲者マクス・キュッスはオデッサに生まれ、1942年にオデッサでのドイツ軍によるユダヤ人虐殺の犠牲となっていたこと、などがわかり、改めて感慨(などと言ってよいのか迷うが)を持ったのでした。
ユーラシア・サロン、なかなか有意義な会だった。
けど、山之内重美さんが「みんなで歌いましょう!」と言っても、皆さんのノリはいまいちだった。
えー!皆歌が好きだから参加したんじゃないの??
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