ハシェクはハシェクでも、イヴァン・ハシェクさんではありません。
イヴァン・ハシェクさんは法曹一家に生まれた異色のサッカー選手でありました。
Приходится двородным братом Мартину Гашеку, тоже футболисту и партнёру по «Спарте», и Доминику Гашеку, который добился больших результатов в качестве хоккейного вратаря. Имеет двоих сыновей, Ивана и Павла, они тоже играют в футбол на профессиональном уровне.
従兄弟のマルチン・ハシェク、息子のイヴァンとパヴェルがサッカー選手、従兄弟のドミニクがアイスホッケーの選手と、スポーツ選手も輩出する家系のようだ。
作家のヤロスラフ・ハシェク(ご本人の書いたところによると「チェコ最大の作家ヤロスラフ・ハシェク」)は、これらのハシェクさんたちとは恐らく血縁関係にはない、と思う。
ご自分で「チェコ最大の作家」と標榜するのもまんざら嘘ではない、『兵士シュヴェイクの冒険』で有名な、あの破天荒の生涯を送ったハシェクであるが、これは『法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史』の第42章あたりから登場する、なぜかチェコ人とチェコ民族に大いに敬意を払っているハンガリー人たちによるサッカーについての言及を書き出してみる。
(ただ、『シュヴェイク』をお読みになった方ならよーくおわかりかと思うが、ハシェクの文体ときたら、大概が酔っ払いがぐだぐだ無駄話をしているような調子が止めどなく続くというものなので、抜き出して書いたところで、何が何やらわからん!と感じることでありましょう。是非この本を通して読まれることを切に願うものであります。)
「…チェコ人は軍人としてもすぐれていますが、負けたこともあります。まるで中風になったみたいだったのですが、それは悪賢いドイツ人のせいだったのです。チェコ人はドイツ人との決着をつける時機を、待っているのですね。それはそうとして、チェコ人は国会で一騒動起こすのが上手ですよね。それにサッカーでも相手を負かす術を心得ていますよ。ピルゼンはビールで有名です。」
「ピルゼンはドイツ語です。チェコではプルゼニと言うのです。」
(第42章「おおむね旅行記ならぬ、旅の初めの考察」より州知事ミクローシュ・ブチュタイ氏の発言)
「チェコとハンガリーは一つの民族なのですね。言葉こそ違いますが、すでに何年も友好的に交流している民族なのであります。チェコのサッカーチームはペシュトで試合をしておりますし、ハンガリーのサッカーチームもチェコの首都プラハで試合をしているのであります。コシュート万歳、チェコ万歳!」
(第43章「ハンガリー人とチェコ人」より群長イシュトヴーン・ヴァルゲ氏の発言)
この本が書かれた1911年当時、第一次世界大戦前で、チェコもハンガリーもオーストリア=ハンガリー帝国の一部だったが、既にサッカーチームがあって試合をしていたのか、ということがここから知ることができる。
ハンガリーは相当強かったかもしれない。
チェコの方は、おそらくドイツと同様にまず体操クラブが全国的に作られ、それを基盤に他のスポーツも発展していくという道を辿ったのではなかったか(うろ覚え)。
ヤロスラフ・ハシェクは無頼の作家で、ウ・カリハやらウ・フレクーだのビアホールで飲んだくれて記事を書きまくっていたようで、スポーツをやったり観たりしていたのかどうかというと、あんまりそういう印象はないのだけれど。
だから、具体的に贔屓のクラブがあったのかどうか。
あったとしても、今で言えばスパルタ・プラハみたいな一番人気のところではなかったのでは?
と、これはあくまで私の想像です。
『プラハ冗談党レポート 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史』
栗栖継訳
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