左は森田先生がソ連時代に買ったというお土産用バラライカ。
左はマクシム先生が演奏されたもの?
講師は森田稔先生とマキシム・クリコフ先生。
クリコフ先生は、ペテルブルグの大学ではロシアの民族楽器オーケストラの指揮とバラライカを専攻、東京芸術大学では日本の伝統音楽を研究(博士号をとったのは尺八だけれど、三味線・お琴もものするとか)。さらに!小説も書くという、多芸な方。
コンサート後に伺ったのですが、2009年の留学生文学賞奨励賞を受賞されたその小説のタイトルは『再会』。
マクシム先生は「ネット上で読むことができます」とおっしゃっていましたが、現在はKindleで購入して読むことになるようです。
『留学生文学賞 作品集 [Kindle版] 』
(↑の授賞式の場では、マキシム先生はバラライカは趣味にすぎないみたいなことをおっしゃっておおいに謙遜されているが、もちろん単なる趣味ではない!)
森田先生のレクチャーはユーラシアブックレットの『民族楽器バラライカ』をざっと解説するという形式をとり、文字通りかなり概説的なものでした。
そのブックレットをテキストに使うということが、残念ながらあまり周知されておらず、若干混乱(というか不満?)をもたらしてしまいました。
皮肉にも、予め配布されていたクリコフ先生のレジュメが、森田先生のお話を聴く上でかなり助けになりましたが、そうなるとクリコフ先生のレクチャーはその繰り返しになってしまわないかと危惧してしまいました。
しかし、クリコフ先生は上記のようなご自分の経歴を振り返りながら、森田先生のレクチャーの補足に留まらない、多くの気づきを与えて下さいました。
印象的だったのは、「民族衣装を着てロシア民謡を演じることには抵抗があった」という言葉です。
クリコフ先生が受けてきたソ連・ロシアの専門教育、アカデミックなバラライカの世界では、スーツを着て、クラシック音楽の編曲ないしバラライカのために作曲されたオリジナル作品(ソナタ、協奏曲など西欧音楽の様式であることが多いようだ)がレパートリーの7割以上を占め、弾きながら歌う«弾き歌い»は基本的にしない。
対して、本来的な民俗楽器としてのバラライカは、農民が歌って踊って遊ぶ時の伴奏で使われた、「美的ではない」「ラフな」楽器。
ロシア国内でのアカデミックな演奏形態と、国外で求められる«ロシア的イメージ»=民族衣装を着用してロシア民謡の編曲を演奏するという演奏形態との齟齬。
クリコフ先生は日本に留学して、外側からロシアの「アカデミック」バラライカの世界を眺めることで、「二つのバラライカの伝統がある」、ソ連時代に確立した民族音楽としてのバラライカとの本来の民族文化としてのバラライカがあることに気づかれた。そして西洋音楽たるクラシック音楽的であろうとするアカデミックな世界の感覚としては農村文化・民俗文化をいくらか低いもの(「美的ではない」)と捉え、抵抗を感じる、ということを認識し、それを率直に語ったのだと思います。
クリコフ先生は、数年前にお話ししたペテルブルグ出身の画商の青年を思い出させました。
日本語が堪能なこともそうだけれど、人当たりがよくて、思考が柔軟で、ロシアを外側から観ることができる客観性を持ち、多才であること。
そんなところに共通性を見出します。
演奏後、おばさまたちに囲まれ、丁寧に質問に答えていました。
「バラライカはどこで習うことができるのか?」とか。
今では、クリコフ先生はロシア民族音楽アンサンブル“GARMOSHKA”で民族衣装を着て演奏されているそうです。
六本木の「ミンスクの台所」で毎週木曜日にライブをされています。
ところで、私のお隣に席をとった若い女性は、すぐ前に座っていらしたクリコフ先生とロシア語でぺらぺら会話しているのみならず、メモもロシア語でさらさら書いている。
なので、私はこの女性はクリコフ先生の芸大での教え子かしらと思い、すごいなーと感心していたのです。
その後、彼女はキルギスからの留学生だということがわかりました。(もちろん先生同様日本語堪能でした。)
いやはや、キルギスの方は、言われないと日本人との区別は全くつかないですね。
今回もほんとに日本人だと思い込んでいました。
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