2011年6月23日木曜日

ロシア語教科書はいろいろアナクロ

今、教科書で使っている『リピーティングで学ぶロシア語』、今までの教科書に比べたらダイアローグは自然な会話で使えそうなものが多くてよいのだが、やっぱり突っ込みを入れたくなるところが散見します。

突っ込みというレベルじゃなくて、嫌だなあと感じたのは、13課の「世の中どこでも女性は気まぐれでしょう」という会話。
著者はこれが冗談のつもりだったのだろうか?
(きっとそうなのだろうな。)

でも仮にも教科書なので、こんなのだと差別的だと国連人権委員会から勧告を受けるに余りあるレベルなのに、それにこれまで気がついていないとしたら、よほど鈍いのだと思わざるを得ません。
というか、はっきり言って、芯から不快になりました。

今まで使ったロシア語の教科書に、こういった“フェミコード”に引っかかるような記述はしばしばあり(これもよい教科書ではあるのだけれど、ハヴローニナの『ロシア語を話しましょう』は「酷い!」と苦笑するような場面設定がよくあった)、そして、こういうのは、他の言語を勉強しているときには殆どないので、ロシア語独特の問題ではあるのです。

ロシアという国自体が、かなり女性差別の多いところだというのは感じるところだし、結局のところ日本でロシア語を教える先生たちにそういう感覚があることの反映なのだろうけど、そんなのでロシアやロシア語を嫌いになるのも損なので我慢してきました。

授業では、先生は、ご自分が習ったロシア人(女性)の先生はほんとに気まぐれというか気分屋だった、とお話しされていました。
それは経験上そうなのでしょうけど、少なくとも私は世間の標準的な男性たちより気まぐれだという自覚はない、というか「ではない」と確信しています。
私の方の経験で言うと、(こちらからは男性のバイオリズムがいまいち掴めないせいか)男性上司はやたら「さっきと言っていることが違うぞー」とか「なぜ今日はそんなにご機嫌斜めなの??」とか「おなかが空いているからこんなに理不尽なことを言っているのだろうか?!」とか思わせるわけですが、あ、もちろんロシア人ではなくて、日本人ですよ。

「いやあ、そうは言っても、あなたもさっきと言っていることが違っていますよ」とか、オチをつければいいのにさ。

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