2012年4月21日土曜日

孤高のアラン人

宿題が大変すぎて、いつできるか(というより、できるかどうか自体が)わからないけれど、ヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロドの公式サイトにある「12の質問」シリーズのショタ・ビビロフの記事を訳して「12の椅子」に載せたい。サイトでは、今はカリャカへの「12の質問」を受け付け中だ。
「12の質問」を「12の椅子」で。

ショタというのはやはりグルジア人の名前で、インタビュアーは「民族的にはオセット人なんでしょ?どうしてグルジア人の名前なの?」と聞いている。

「家族でグルジア人なのはおばあさんだけ。」

「おじいさんが名付けた。」ではなく、訂正します。
А назвали меня в честь дедушки.
(僕は祖父を記念して名付けられた。)
グルジア人なのが祖母だけ、だとすると、祖父はグルジア人ではないように思うけれど、祖父の名をとってショタになった?
祖父ではなくて、祖母の父=曾祖父がショタという名前だったのか?

ビビロフ家は元々グルジアに住んでいたそうだ。
一家がグルジアから北オセチアに引っ越したのはショタが2歳の時。
ということは1992年。ソ連解体直後ですね。
大いにありうる話だ。
ガゼータ・ルーなどの選手データには、ビビロフはウラジカフカス(当時はオルジョニキーゼ)生まれとなっているが、このインタビューによると、生まれたのはグルジアでウラジカフカスには2歳の時から住んでいたということになる。

今やぴかぴかに輝くヴォルガの星であるが、プレミアデビューの対テレク戦でレッドカードを食らい、その後重傷を負うなど、決して順風満帆のサッカー人生ではなかったようで。
「二度とレッドカードを貰うまい、グロズヌィでは(笑)」←ここで笑うか?グロズヌィ以外ではいいってことか?

写真によっては、アルトゥール・スモリヤニノフの面影があるのだけれど、本人曰く、自分は無口なので、時に「沈黙のショーリク」と呼ばれているとか。
笑い上戸のアルトゥールとは大違いだ!あの子はこちらが理解しているしていないに関わらずしゃべるか笑うかしていたからな。
サッカーをしているときには「ビビ」と呼ばれる。
この愛称形はグルジアっぽく聞こえる。
「憧れの選手は、子どものときはジダンで今はメッシ。」
「憧れのチームはバルセロナ、国内ならツェスカが好き。」
「チームの先輩、カリャカやアジンジャルを尊敬している。」
「先日カリャカが達成した通算100ゴールは現実的な目標なんじゃないかな。」
(かなり強引にまとめている。)

といったところだ。

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