私にとって観劇は一番早くからの趣味であり、趣味というより習慣みたいなものだったのだが、そうは言ってもここはロシアではないので、社会人になった今では毎日とか毎週お芝居を観られるというわけにはいかない。
月に一回、年に12回を目標にしている。
この数値はなかなか達成できない。
まず、時間をどうやり繰りするかが問題だ。
それにチケット代もどう捻出するかも、やはり問題だ。
映画よりずっと高いからなあ。
映画にはない、生の、一回性の良さが、舞台にはあるわけだが。
今年は、「どん底」「ブラボー、ラウレンシア!」に続いて、昨日劇団銅鑼の「砂の上の星」を観た。
「どん底」は、それもベリャコーヴィチ演出の「どん底」は、それまで2回観ていたけれど、それでもまた観たくなって観に行った。
(奇しくもカリャカがディナモ・モスクワからヴォルガ・ニージニー=ノヴゴロドに移籍し、この町出身の有名作家の作品を今一度読んでみようかという気にもなったのだった。但し、「どん底」自体は、サマラの木賃宿での体験が下敷きになっている、らしい。)
「ブラボー、ラウレンシア!」は、プトゥーシキナの「家族の写真」がおもしろかったので、期待が大きかった。
それにロシア現代劇シリーズは、第1回の「かわいそうなマラート」は見逃したが、「ホテル・タイガ」「不思議なバーバ」ときて、今後はずっと観るつもりでいる。
「砂の上の星」は、上の二つが自分から観ようと思ったのに対して、はっきり言うと、強力にお誘いを受けたので、じゃあ観るかという感じだった。
もっと端的に書いてしまうと、あんまり気が進まなかった。
アフガニスタンの状況からして、底抜けに明るいお芝居ではありえないことが想像できてしまうから。
果たして、明るいとか清々しいとかいうことはなかった。
まあ何とか希望を繋げたいというラストにしていたが。
原作は読んでいなかった。
アフガニスタンのお話だというので、「アフガン零年」とか「カンダハール」とか「午後の五時」とか「子供の情景」とか、今まで観てきた映画で描かれた光景を想像していた。
似ていると言えば似ている部分は随所にあった。
それでも、大いに研究して工夫していいお芝居にしている、と感じた。
若い俳優さんたちの動き(何度もものを出したり入れたりする)が忙しなく、必要以上に焦っているように見えたのは残念だったけど。
(切迫感を出したいが故の演出だったのかもしれないけれど、あの辺の人の物腰ってそんなときでもゆったりしていたように(上記の映画を観ている限りでは)思える)。
彼らが自分たちの手で平和と自由を獲得する日が一日でも早く来ますように。
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