世界的なマラソン大会で、一流選手たちをと言うより市民ランナーとその応援者たちを標的にしたテロが起こって、子どもや留学生などが犠牲になったと聞くと、深い悲しみと、こういったこと防ぐことの困難さについての絶望にも似た思いを抱いてしまう。
しかし。
犠牲者3人でこれだけ世界が大騒ぎするのも、起こった場所がアメリカだからだ、アメリカが戦争を起こしたアフガニスタンやイラクではもっと多くの人がもっと頻繁に同様の爆弾で命を落としていることには世界中がスルーしていると言うのに。
それに対しての腑に落ちない思いはあるものの、同時に、2011年のテロが起きた時に真っ先に弔意を示したのはロシアであったり、オムニバス映画「11'09''01 - September 11」において最もストレートに犠牲者に同情を寄せているのがサミラ・マフマルバフが撮ったイランの田舎の子どもたちであったりしたことを、すぐに思い出した。
やはりあの頃に、教会では、敬虔なクリスチャンホームに育った好青年が、「でもアメリカは今までどれだけ加害者だったのか忘れたかのように、被害者としての面を強調しているけれど、それに反発を覚える勢力も当然いるでしょ」と口走ったのに(意外に激しい口調だった)、年配の信徒の方たちは芯から驚いた顔をしていたことも、忘れられない。
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