2013年4月7日日曜日

その翌日、闘いが始まった

岩波から今年の2月に出た児童書『スターリンの鼻が落っこちた』の作者ユージン・イェルチンは、その名前から推察されるとおり、アメリカに移住したロシア人(ユダヤ系)で、ロシア風にはエヴゲニー・エリチンЕвгений Ельчин という。
まずは画家として活動し、絵本も書き、この本は手掛けた最初の児童文学とのこと。この本の挿絵は当然ご本人が描いている。まあ、あんまり可愛くはないです。子どもの表情なんかも無気味で、怖い。スタレーヴィチよりも怖い。

ロシアでも訳書(というか本人がロシア語にした?)が出ている。

Круглый стол "Как говорить с детьми о сталинизме?"

この本の刊行に伴い、ロシアでは、ここにあるように、「子どもにスターリニズムをどう話すのか?何歳くらいか?」というような論争も巻き起こしている。

岩波の「訳者あとがき」を読むと、「共産主義は、・・・スターリン主義ともいわれました。」とか「このソ連のスターリンの独裁政治時代のことが表だって語られるまで、ソ連崩壊後20年かかりました。」とか、なんか子どもに話す以前に不安になってしまうが(スターリンの独裁時代のことはかなりいろいろ語られていますのにねえ、『アルバート街の子供たち』とか。それとも、児童文学とか亡命ロシア文学とかいう括りをしたうえでの「20年かかった」なのだろうか?)、どこか「今までにない」児童書として解釈され始めているのではないだろうか?
ゴーゴリの『鼻』のモチーフあり、二転三転する脇役の動きもミステリーとして効いていて、おもしろくはあった。あら、ここで終わってしまうの?というラストも上手い。

「その日から暗転する、«人民の敵»の子どもの生活」という点においては、ガリーナ・アルテミエヴァ『ピクニック』(未知谷)にある表題作の方が、恐ろしく、真に迫ってきていた。
登場する少女たちの言動が、なんだか身近なのだ。私の学校時代もこんなだったな、と。
私が特に近しく、そして魅力的に感じるのは転校生オルローヴァ。
トカチュクは卑怯で嫌な子だけど、いるでしょ、こういう子は、いつでも。
(ロラン・ブィコフの児童映画「がんばれカメさん」で、学校のクラスメイト同士では名前の愛称ではなくて苗字呼び捨て形で呼びあっているのかと驚いたが、この『ピクニック』でも少女たちは互いの名前を知るのはオルローヴァの家に招かれ、家族の会話を聞いていてのことで、それまで学校生活では苗字で呼びあうのだ。)
オルローヴァが、ダリを知らない主人公に向かって「うそ、最高の画家じゃない」とか、「社会主義リアリズムなんて」とか(おそらく親たちの会話の受け売りの)アンダーグラウンドな価値観を表明してみせ、ほんとうに世が世なら二人は親友になったろうに、でも親友になってから引き裂かれるのはもっと酷いことだからこれでよかったようにも思えるが、ラストのヒロインの台詞まで、ナタリヤ・トルスタヤなんかよりずっと平易に一気に読み切れるのが魅力だった。そして後に引く。

秘かに香るファンタスチカ要素は、『ピクニック』でも『スターリンの鼻』でも健在だ。




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