モスクワ大学創立者M.V.ロモノーソフ生誕300年記念文化講演会
「ロモノーソフの業績とその時代」
「ロシア紅茶を飲みながら」ということでしたが、ジャム入り紅茶にピロシキつきでした。
ジャムは予め入ってしまっている、本来のロシア式ではないものでした。
かき混ぜたけれど底の方は限りなく濃厚に甘い。
ストレルコフ先生と通訳の方はこのピロシキを召しあがる時間がなく、お持ち帰りになったのでした。
「熱々のところを召しあがっていただきたかったわ!」と主催者の方がおっしゃっていましたが、ほんとにそのとおり。
講師のアンドレイ・ストレルコフ先生は今日日本に着いて直接この講演会にいらっしゃったので、お疲れではなかったかと思いますが、見た目は割とお若いです。
(TVの解説者もされているとのこと。)
12/1と12/2にも同じテーマでの講演会があるので、詳しい内容を書くことは控えますが、驚きの小ネタを。
「ロシアのレオナルド・ダ・ヴィンチ」ことミハイル・ヴァシリエヴィチ・ロモノーソフは、天文学・物理学・化学等に功績を残した偉大な科学者にして、国語としてのロシア語の確立に寄与し(作詞法・ロシア文法の著作を残す)、歴史学等人文科学でも先駆者となる。
そして、1755年1月25日、モスクワ大学設立。
1月25日、それは聖タチヤナの日でした。
モスクワ大学を守護する聖タチヤナ教会
モスクワ大学旧館前のロモノーソフ像
こちらが有名な雀が丘にあるモスクワ大学の建物(本館)
そんな18世紀ロシアのスーパーマン、ロモノーソフには娘が二人いました。
長女のエカテリーナはまだ一家が貧しかった頃に死亡。
その後に生まれた二女のエレーナはアカデミー出身者(ということはロモノーソフの教え子なのだろう)でエカテリーナ二世時代図書館の司書を務めたアレクセイ・コンスタンチノフと結婚。
自身は23歳で亡くなりますが、三人の娘と一人の息子をもうけました。
そのうち子孫を残したのは娘のソフィヤのみでしたが、彼女は後に1812年の対ナポレオン「祖国戦争」の英雄となるニコライ・ラーエフスキーと結婚。
(エルミタージュの1812年戦争の間には彼の肖像画もきっとあるのでしょう。探し出せるでしょうか)
ソフィヤとニコライの子どもの一人が、なんとマリヤ・ヴォルコンスカヤだったのでした。
プーシキンに詩を捧げられ、ネクラーソフに謳われた、ヴォルコンスカヤです。
デカブリストの妻の。
映画「美わしき幸せの星」でヴォルコンスカヤを演じたナタリヤ・ボンダルチュクのことが目に浮かんだのか皆さん小さくどよめきました。
ロモノーソフの血統は、このラーエフスキー家の人々にのみ引き継がれていますが、軍人が多く、学者になった人物はいないとのことでした。
ロシア人には周知のことなのかもしれませんが、あのロシア史上のヒロインが知の巨人ロモノーソフの血を引く人だったとは…と、感動しました。
講演会の後、東急プラザの2階のカフェで、先生に時間をとっていただき、さらにお話を伺うこともできました。
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