先週末、トルコ映画「蜂蜜」を観に行き(大好きなイラン映画「友だちのうちはどこ?」を思い出させる作風だった、三部作のあと二つを観るのが楽しみでもあり、恐ろしくもある)、このところ西アジア映画に飢えていたので、「バビロンの陽光」の前売券もそこで買った。
「バビロンの陽光」は希少なイラク映画として話題になっていて、6月初旬から公開されていたから急がないとそろそろ終わってしまうはず。
今日観に行って正解だった。
明日・明後日の夜は予定があったのだし、9日からは10時台・12時台のみの上映になってしまい、15日で上映終了。
観にいけるのは結局今日しかなかったのだ。
クルド民族、抑圧と虐殺の過去と、戦乱の後の痛みを描くにしても、イラン映画とはやはり異なる色合いになる。
(この映画の監督さんは、イラク人であってクルド人ではないとのことだった。)
が、老女が我がままと言ってもいいくらい毅然としていること、子どもが愛くるしいの一言である点はイラン映画と同様。
マッチ棒が何本載るか?というくらいばしばしに分厚い睫毛の憂い顔のアーメッド(と書かれていたが、「ハメド」と聞こえた)。
集団墓地で親族の遺骸を探し回るシーンは、メラブ・ニニーゼのデビュー作「懺悔」を惹起させた。
イランと同様、かの地に平和と正義を。サラーム。
クルド虐殺に加担した元兵士を、最終的には「赦す」という祖母。
演じた女性も、現実に家族を失っており、演じることで痛みの追体験をすることになってしまった、そのうえでやはり「今はもう復讐を求めていない、赦すことでイラクが前に進むことになる」と言ったとのこと。
赦すという言葉の重みをずっしりと感じる。
これは読まなくては、とメモした本。
『キリスト教とホロコースト―教会はいかに加担し、いかに闘ったか』
予想通り、ドイツ編・フランス編から始まり、ポーランド編・リトアニア編、さらにロシア・ベラルーシ・ウクライナ編、中南東部ヨーロッパ(チェコ、スロヴァキア、ルーマニア)編等々今まで日本語ではなかなか目にすることのできなかったマイナーな地域研究の成果も得られそうだ。
欲を言うとユダヤ人抑圧に限定せず、ロマなどのさらなるマイノリティーに関しての言及があればと願うものだけれど。
そして、この本を読んだら、あの本を読み直すことになるだろう、と私は思いました。
2008年の寒中お見舞いに書いた、あの本。
『賛美歌にあった「君が代」』。
「教会がいかに加担し、いかに闘ったか」、日本において、アジアにおいて、それを問い続けずに、赦しはないだろう、と。
これ、読みなおすと、
「それでも生きる子供たちへ」、私が選ぶならこの7人
に、「木漏れ日の家で」の ドロタ・ケンジェジャフスカを選び、また「死者からの手紙」のロラン・ブィコフも登場させ、井上幸義先生の「ゴーゴリの『鼻』を読む」に触れるなど、妙に今年もリバイバル!という事柄を書いているのがなんだか不思議だ。
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