フェルディナント・フォン=シーラッハ『犯罪』
作者は弁護士、それも刑事事件専門の弁護士であるらしい。
そして、バルドゥール・フォン=シーラッハという、ナチ党全国青少年最高指導者だった人物の孫とのことだ。
さらさらと読めてしまう。
と言っても、あんまり気持ちよくはなれない。
『犯罪』なのだから、当然だが。
犯罪の中でも、累犯窃盗とか詐欺とか、暴力的でないものなら、ユーモアですませられそうにも思えるけれど、この短編集で取り上げられている犯罪は圧倒的に殺人あるいは死体損壊。
後味悪ーい話も多く、うち一つには「タナタ氏」という日本人が登場。
しかもこの人、まともじゃない。何らかの犯罪集団に属している模様。
この作品(『タナタ氏の茶盌』)と、チンピラ二人が会計士風の謎の男に殺される(が正当防衛とされる)作品(『正当防衛』)が、グロくてやっぱり好きになれない。
でも、あとの作品は、踏み越えて罪を犯した人に何だか同情したくなってしまう、というのも多かった。
狂気について、やはり随分さらりと書いてしまっているので、どうなのよ、と言いたくなる。
…それでも、そこは普通、犯罪までいかないだろうに…。
明らかにおかしいのに、ある事件以降「足を洗って、…結婚しておとなしくなった」、『タナタ氏の茶盌』のマノリス(ギリシャ人なのに、フィンランド人になったと思い込んでいる)。
生き物を目にすると数字に見えてしまい、不吉な数字だと思い込んだ羊を惨殺する、『緑』のフィリップ。
事務の手違いによって一ところで長期間「監禁され」同じ仕事に従事することを強いられた挙句、棘と画鋲フェチになってしまった、『棘』の博物館員。
彼らは危ういところで最悪の事態は避けられていたのだったが。
しかし、『愛情』のパトリックには、周囲の救いの手が届かなかった。
ずっと前に読んだ、少年事件担当の弁護士の手記を思い出した。
ある少年の審判で付添人になったときのこと、調査官が「この少年については今回はこれ(住居侵入)で済んだけれど、これから周囲がきちんとサポートしていかないと大変なことになるかも」と言った。
弁護士はそのときその発言を聞き流してしまったのだけれど、何年も経ってから電車で向かいの人が広げていた新聞記事に、とある凶悪事件のニュースが載っていた。
住居侵入の手口から、彼だ、とその弁護士は直感し、面会を求めた…。
主に移民系の下層の人たちが、生きていくのには、殆ど犯罪に手を染めるしかないような状況なのには、ただただ溜息が。
それでも、「これからは生き方を変えなくきゃ」というカレとイリーナ。
それに、やっぱり最後の作品のミハルカ。
彼らを応援したくなる。
それと、犯罪者一家の中になぜか生まれてしまった天才児カリム。
兄を救うために、法廷中を煙に巻く、ミッション・インポッシブル!
さすがはフェニキア人の末裔だ!!
私はこの手の話が好きですね。
ドイツでは、検察のあり方が日本とだいぶ違うように感じた。
検察は「中立」であるべきとされる。
被告人(あるいは容疑者)に必ずしも対峙するものではないのだ。
だから、すっきりと容疑が晴れるわけでなくても釈放しなければならないし、「疑わしき」を起訴できなかったからといって彼の業績に傷がつくわけではない。
(無実の人を有罪としてしまった場合の咎の方がよほど重いのだろう。)
…もしかしたら、日本の検察も本来はこうなのかもしれないけれど。
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