2012年7月21日土曜日

敗北を抱きしめて(ルサルカを再び)

22-8
Матч уже давно кончился, но болельщики не расходились: они всё не (смогли/могли) поверить, что их команда проиграла.

☆時間的意味でのвсё/всё не(いつも、ずっと、あいかわらずまだ)は不完了体とのみ結合

よって不完了体моглиを選択

Матч уже давно кончился, но болельщики не расходились: они всё не могли поверить, что их команда проиграла.

「試合はとっくに終わっていたのに、ファンたちはその場を去らなかった。彼らにはまだ試合に負けたことが信じられなかったのだ。」

ああ、ああ、そんなこと!
よくあるじゃないの。
試合に負けることなんて。
というより、頭にくる負け方をすること。
«負けてはいけない»試合でぽろっとやってしまうこと。


まあ、冷静になることだね。
暴れまわったりしたらだめだよ。

先日、アンナ・メリキャン監督の「ルサルカ 水の精の恋」を観た。
この映画を観るのは数年前の新作ロシア映画上映会に続いて2回目だった。
「オデッサ・スタジオ」にいい加減な感想を書いています。

この映画ではっきりと日付がわかるのが、ワールドカップグループリーグで日本対ロシアの試合が行われた2002年6月9日(ヒロインのアリサの18歳の誕生日)である。

最初に観た時は、幻想的でお伽噺のような、それでいてポップな、メリキャン独特の雰囲気に幻惑されてしまったが、彼女の長編デビュー作である「マルス」も含めて、実はメリキャンの描く世界は現実のものなのだと痛感した。

6歳のアリサが南の海辺の町で日食を迎える1990年7月22日、実際にフィンランド・ソ連などで皆既日食があった。
月の土地を売るといういかにも怪しげなサーシャのビジネス、自己啓発系のコマーシャルが溢れるモスクワの街、これらもリアルな今のロシアというわけだ。
特に、アリサが起こす暴風雨と洪水の光景には、つい先日のクラスノダール地方の惨事が思い出されて心が痛んだ。
この年にも実際に大規模な水害が起きていたのかもしれない。

ぬいぐるみ工場の労働者たちが製品であるぬいぐるみを自ら売りに客車を練り歩くという「マルス」における冒頭シーンも、そういえばそんなニュースが報じられていたなと思い起こす。
無論日本を始め多くの国においては、労働者への賃金は全額を通貨で支払ういうのは労働法の基本であり(労働基準法24条)、現物支給は違法である。
当時のロシアでも違法か違法すれすれであるからこそニュースになっていたのだろう。

これまでソ連の名作映画をたくさん観てきた年配の方たちには、唐突な悲劇で終わるこの映画は「いらいらが募る、すっきりしない」「光明が見えない」とかなり評判は悪かった。
しかし、お伽噺のようでありながら、«ロシアのいま»(特に好景気に沸きたっていた当時のロシア、なかんずくモスクワ)の敢えて陰の部分を提示し、それでいいのか?と控えめに呟いてみたような、この映画の«リアル»はなかなかのものであると見た。
それに、帰途に友人も述べていたのだが、ロシアの伝統的な犠牲という観念を「いらいらする」とは思わないよなあ。このへんは感性の違いだろう。

サッカーの話題に戻ると、メリキャン自身はおそらくアリサと同様「サッカーなんて大嫌い」「サッカーファンなんか大嫌い」という心象なのだろうが、フーリガン問題に関しても「これでいいのか?」と控えめに主張していたと捉えることも可能で、この声にもっと早く真摯に向き合っておくべきだっただろう。
と、6月のフィアスコをふまえて感じたのだった。

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