青春は一日にして終わるものではない。«今日、私の青春は終った»とカレンダーに印をつけることはできない。それと暇乞いをする暇もないくらい、気付かぬうちに去っていく。君が若くてハンサムだと思っていても、気がついたら路面電車の中でピオネールが君のことを«おじさん»と呼んでいる――そういうことだ。電車の暗い窓ガラスの自分の姿を、まじまじと眺め、びっくりして君は思うのだ。
«そうだ、おじさんだ»青春は終わった。でもそれは、いつ、何日、何時に?それはわからない。
そのように私の青春も終わった。
『ふたりのキャプテン』295-296頁
サーニャこと飛行士のアレクサンドル・グリゴーリエフは、このあともまだまだ青春またっだ中で、人生に、恋に、悩み苦しみ続けるのだけれど。
時代がらなのだろうか、ゴーリキーっぽい感じ。
サーニャは男の子の不器用さがよく出ている。
成長してもまだどこか子どもっぽく、女性心理のあやを掴むのが苦手で。
(彼の永遠の恋人カーチャは勝ち気で高飛車なお嬢様だが、それでなくてもサーニャの言動は「あああ…そこでそれはないだろう」の繰り返しだ。)
友人のヴァーリャ・ジューコフも典型的理系の男の子で、やきもきさせるが。
冒険小説としてより、ソヴィエト青年の青春恋愛小説として面白く読める。
それは、その背景におとなの女性の苦悩(サーニャの母、カーチャの母など)が織り込まれているからだが、それはあくまでサーニャという少年の視線を通して描かれている。
そういう点からみると、今までにないロシア・ソヴィエト文学だった。
(いや、ソ連の大衆文化には連綿と存在していたのかもしれないが。)
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